「はぁっ!」

気合の叫びと同時に白い脚が大地を蹴った。の華奢な肢体が宙を舞い、獲物を狙う鷹の如く標的を捉える。

「遅い!」

だその動きは既に読まれていた。二つの影が交錯する刹那、シズキの腕が容赦なく突き出される。それに気づいたは、半身をひねって同じく腕を伸ばし、掌でシズキのそれを受けると、その勢いを生かさず殺さず後ろへ跳ぶ。

着地と同時に身を低く滑らせて旋回、転がるような勢いでシズキの背後へと回り込んだ。足の親指をバネの要領で利用することで、人の持てる瞬発力を最大限に引き出すこの移動方法は、数瞬の攻防でまさに命運を別ける。

再び重なる二つの影。全く同時に繰り出された互いの手刀が、それぞれの首元でピタリと止まる。
どちらも後ほんの少し手を動かせば、容易に相手を気絶させることの出来る急所を捉えていた。だが、引き分けかと、が思った時一つに括られていたシズキの黒髪がぱらりと宙に舞う。

「・・・あ・・・・・」

それはの手刀がシズキの髪紐を断ち切っていたからに他ならない。小さく声を上げたに、シズキはふっと表情を緩め、態勢を解いた。

「よくやった。合格だ」

それはが、初めて師匠であるシズキを負かした瞬間だった。










第4話 閃光の福音










がシズキに弟子入りしてから、ずいぶんと長い時間が過ぎていた。
月日の流れを象徴するように長く伸びた淡い金髪は、いつの間にか腰に届くほどになり、十六歳だった彼女も今は十八の誕生日を間近に控えている。

(十八歳か・・・・)

おそらく、自分にとって大きな意味を持つであろう時がすぐそこまで迫っていた。
だが何も迷うことはない。そのために必要な力は、シズキの元で過ごした間に培ってきたのだから。







8月。
真夏の空を象徴する積乱雲は、時に大気を非常に不安定にする。特にそれが小高い丘ともなれば、気まぐれな天候の格好の餌食となるのも珍しくなかった。


(降りそう・・・)

は足を止めて空を見上げた。
修行が始まったその日から、ふもとを幾度となく走ってきたが、シズキの元で過ごす最後の日である今日、は丘の上まで足を伸ばしていた。別に特別用事があるわけでもないが、一度くらいは登ってみたいと思ったのだ。

夏の強い日差しを受けて青々と茂った草の合間に、ポツポツと小さな白い花が咲いている。天気さえよければごろりと横になって過ごすのも気持ちいいのだろうが、あいにく頬をなでる風は湿気を帯びて生ぬるく、どこか不快さを誘う。いつのまにか太陽はその身を潜め、空を支配するのはどんよりとした暗雲だった。思ったとおり、遠からず雨が降り出すことだろう。


そんな空模様に見切りをつけて、は戻るべく足を速める。
だが、走り始めて間もなく、遠くから近づいてくる音に気づいて再び足を止めた。そして。

「!」

一条の青い光が、の前方の木へと走り、続いて地を揺るがす轟音が轟いた。音の余韻と強烈な閃光が僅かな衝撃となってを襲う。思わず腕で視界を庇えば、それと同時に雨が降り出した。

「・・・・・・・」

数秒の後、腕をどけたの視界に映ったのは、真っ二つに断ち切られた木の姿だった。何があったかは考えるまでもない。夕立による落雷が起こったのだ。

一度目の落雷を皮切りにしたか、今では空のいたるところに青い閃光が走り、それに合わせて雨足はどんどん強くなる。だが、は既にずぶ濡れになっているにもかかわらず、その場から一歩も動くことが出来なかった。恐怖で足がすくんだのではない。

驚異的な破壊力を持つ雷は、一瞬で木の生命を奪ったが、それでもその瞬間放たれた青い光に無数の水滴が一斉に輝く様は、言葉では表現できない美しさを持っていた。魅せられてしまったのだ落雷の、美しくも凄絶な姿に。

凄惨な破壊の裏に潜む、どこか人を惹きつけて止まない美。その光景は鮮烈なイメージとしての脳裏に焼き付けられた。












「長い間、お世話になりました」

翌朝。
太陽が高く上るよりも早く、はハーネット家の玄関に立った。その手には初めてここを訪れた時と同じトランク。

「セントラルで泊まる場所は決まっているのか?」

「とりあえずしばらくはホテルに滞在して、その間に手ごろな借家でも探そうかと思ってます」

「なら、ここを訪ねてみるといい」

「?」

シズキはに一枚のメモと手紙を手渡した。

「昔馴染みの奴が経営してるアパートだ。これを見せれば安くしてくれるよ」

「ありがとうございます!」

が大きく頭を下げると、シズキは微笑んでその頭をなでる。

「体に気をつけなさい」

「はい、師匠もお元気で」







遠ざかっていく、小さな背中を見送りながらシズキふっと目を細めた。


”生きている限り感情はついてまわる。悲しい時に涙を流し、嬉しい時に声を上げて笑うこともまた必要だ”

いつかに言った言葉だ。
感情を殺しすぎれば、それはやがて自分を殺す。初めて会った日にが見せたあの絶対零度の瞳は、一切の感情を排す者の瞳だ。だからこの一年と少しの間に、その凍てついた瞳をほんの僅かにでも溶かすことが出来て、内心安堵している。生命の誕生を知ることで、人形のようだった顔に笑顔が戻り、あの時以来少しずついろんな表情が出来るようになっていった。

はおそらく、”自分”と言う概念を消そうとしている。それは今も変わらないのだろう、だから彼女は止まらない。

だが今はそれでいいのだろうと思う。彼女に”自分”を教えるのも、彼女の凍れる瞳を完全に溶かすのも自分で無くていい。一年後か二年後か、はたまたもっと先か、然るべき人間が必ず現れるであろうから。

自分に出来るのは今は黙って見守ることだけだ。その背中を押してやるのでもなければ、正しい道に導いてやるのでもない。


「全てはお前が決めることだよ。その自由があることを忘れるな、



師匠としての最後の言葉は、静かに風の中へと溶けていった。





to be continued





back   next