「では、試験は二週間後になりますので」
「ありがとうございます」
は一枚の封筒を受付の女性から受け取ると、一礼してその場を後にした。
(結構時間がかかるものなのね・・・)
歩きながら手に持った封筒に目をやった。大総統紋章の印がされているその中には、国家試験の受験票や、その関係書類が数枚入っている。この書類を受け取るためだけに、朝から中央司令部を訪れていたのだが、今はもう時計の針が午後五時を刻もうとしていた。
第5話 刻印の時
九月の下旬ともなれば、植えられた街路樹もその葉を紅く染め始める。
夏の面影はかげっていく陽光に象徴されるかのごとくその身を潜め、移り変わっていく季節が決して止まることのない時の流れを感じさせた。
(二年・・・・)
賑わうショッピング街の喧騒とは逆方向へ足を進めながら、は細い指を自分の前で二本折り曲げた。
(あれから、もう二年か)
自分の足音がすれ違う他人のそれにかき消されていくのを、どこか遠くのように感じながら、は記憶の糸を手繰り寄せる。そうすることで意識の欠片は深層を彷徨い出したが、それでも足はしっかりと地を歩んでいた。
スカートの裾を翻して小柄な少女が一人、人の間を縫うように走って行く。
サラサラと衣擦れのような音を奏でるプラチナブロンドを揺らして、は家路を急いでいた。薄暮れの人で賑わう繁華街の大通りは、のような年頃の少女にとても魅力的に映ったが、彼女は寄り道することよりも早く家に着くことを望んだ。空腹であることもそうだが、何よりも優しい家族に心配をかけたくないというのが一番の理由だった。
家はを含め4人家族だ。ただしだけは血のつながりが無い。記憶をなくし、気づいた時には名前すら覚えていなかった彼女は14歳の時に引き取られた養女だった。
だが、記憶喪失であるを義父ルイスも、義母ティアナも本当の娘のように愛し、そして五つ年下の義弟コリンも姉として彼女によくなついた。だから最初のうちは戸惑っていたも、やがて心を開き、家族として家に馴染んでいった。
記憶をなくす前の14年間、自分がどんな人間だったのかが気にならないわけではなかった。
自分の本当の名前や、本当の家族、どこで生まれどうやって育ってきたのか、そして何故記憶を失ってしまったのか、それらの疑問は引き取られてからの二年間ずっと頭の中でちらついている。
けれど、は欠けた過去に囚われているよりも、今を生きることを選んだ。もしあの時家の人々が自分を引き取ってくれなかったら、身寄りの無いまま、孤児院に送られていただろう。だから・として精一杯生きることが、何よりもの恩返しになる、そう思ったから。
眼前に迫って来た路地に、は吸い込まれるように足を速める。
だがその時、急に辺りがざわめいたのに気づいて思わず足を止めた。この大通りが賑わっているのはいつものことだが、今のざわめきは楽しげな笑い声や話し声のなせるものではない。現に一瞬のざわめきの後、まるで今までの空間から切り取られたかのように付近は静まり返った。どこか緊張感にも似たピリピリとした空気が静寂の中に色濃く混じる。明らかに異常事態だった。
ーと、突然複数の悲鳴が静寂を破った。
(何・・・・?)
好奇心からではないが、は反射的に悲鳴の上がったほうへ視線を向けた。彼女以外にも立ち止まっている人間は大勢いたため、何が起こっているかは見えない。だがもう一度悲鳴が上がると、数人が逃げるように後退し、の視界が開けた。
そこではまさに修羅場といえる展開がなされていた。
人混みの間にぽっかりと開いた場所で男が一人、女の頭に銃を突きつけている。その傍では親子なのだろう、まだ幼い少女が泣き叫んでいた。
強盗かなにかを起こした犯人が、追い詰められて人質を取ったのだろう。がその事件の詳細を知っているはずもなかったが、おそらくそんな所だ。中央軍部が近いため比較的安定した治安を維持しているこの辺りでも、それは良くある事件の一場面だった。最も自身がその現場に居合わせたのは初めてだったが。
そうこうしている間にも、駆けつけた憲兵が人混みを掻き分けて犯人を包囲する。ほら、もうこのままさほど時間もかからず、犯人は憲兵に取り押さえられて事件は解決する。はそう思って踵を返そうとした。だが刹那、あがった銃声が、再びの視線を縛り付ける。
まず目に入ったのは、鮮やかな紅。
その深紅の飛沫を上げながらゆっくりと重力に逆らわず倒れていく女。
硝煙をあげる銃。
それを片手にたたずむ男。
そして泣き喚く少女。
憲兵の到着に錯乱した犯人の男が、人質の女を撃った。それは火を見るよりも明らかだ。
再び悲鳴が上がり、憲兵が犯人を取り押さえる。辺りは一気にざわめいたが、だけは取り残されたかのように、その場に立ち竦んだ。
銃声。
血飛沫。
倒れる母親。
硝煙の香り。
泣き叫ぶ少女。
今見たものたちがゆっくりと侵食してくるような気がした。なぜだかその光景に既視感を覚えた。脳が、再び似たような単語の羅列を始める。
銃声。
血飛沫。
倒れる男女。
硝煙の香り。
泣き叫ぶ少女。
(・・・・え?)
は目を見開いて、もう一度、今度は自分の意志で単語を並べる。
銃声。
血飛沫。
倒れる男女。
硝煙の香り。
泣き叫ぶ少女。
鈍い衝撃。
そして焔。
不必要ないくつかの単語が、混じっていた。
(何・・・・?何か・・・・私・・・・)
心臓の鼓動がドクドクと煩く耳元で鳴った。そのリズムに不意に違う音が重なる。パチパチという、それは焔の爆ぜる音だ。その不協和音が、一瞬で全てを呼び起こした。
(私、この光景を知ってる・・・・?)
そう自覚した刹那、全身の細胞が大きく脈打つような感覚に襲われた。
途切れた回路を繋ぐため、脳が過剰にシナプスを分泌する。一種の錯乱状態にも似た酩酊を感じてよろめいたの体が、背後にいた女に軽くぶつかった。
貧血でも起こしたのだろうかと”大丈夫?”と女の声が降ってきたが、それはの耳には届かなかった。
今彼女の鼓膜を震わせているのは激しい焔の音だけだ。その音とともに、欠けていた記憶の断片が恐るべき速さで再生されていく。この二年の間燻っていた疑問の答えは、全てその中にあった。
気づいた時、は家とは全く逆の方向へ走り出していた。
もしもあの時、立ち止まらずに家へと戻っていたら、おそらく自分は全く違った人生を歩んでいたのだろう。
二年前の自分と全く同じ場所に立って、は思う。
あの後、覚醒したばかりの記憶をたどってが訪れたのは、焼け落ちた一軒の家の跡だった。そこには黒く焦げた廃材が僅かに転がっているだけで、かつてあったはずの人の生活の痕跡は全く見当たらない。
(この辺りが玄関・・・・隣がお父さんの書斎・・・)
ほとんど何も無い空間に足を踏み入れて、はりアン・フェアクリフと言う人間だった頃の記憶を辿る。これも二年前と全く同じ行動だった。
(この辺りが階段だったかな?上がお母さんとお父さんの寝室と私の部屋・・・)
原形をとどめない柱に手を触れて、上を見上げる。視界に映る夕暮れの空が、胸の奥を小さく締め付けた。
(・・・そしてここが)
柱から手を離し数歩歩くと、は静かに足を止めた。焼けて乾いた土が、足元で小さな音をたてる。
軍の錬金術研究員として忙しい日々を送っていた両親。けれど、久々に家族全員がそろう日は、母が腕をふるって料理を作っていた。あたたかい思い出のたくさん詰まったキッチン。だが、そこは惨劇の舞台でもあった。
「・・・せめて、形見の一つでも残ってれば良かったのにね・・・」
その場に静かにかがみこんで、は地面に手を触れた。
二年前、記憶を取り戻した自分が訪れた時、この家は既に今の状態であった。そしてその事件はただの火事による消失事故として処理されており、がいくら掛け合ったところで、軍部は全く相手にしてくれなかった。証明しようにも、証拠になるようなものは何一つ無く、両親の遺体も、その遺骨の欠片すら見つけることは出来なかった。
墓標すら無い両親を弔うことも出来ずに、彼らが存在していたという軌跡は、今や自分の記憶の中にあるだけだ。
どうしようもない空虚さと焦燥に泣いた数日間。
何故あの優しい二人が殺されなければならなかったのだろう。
何故自分ひとりだけが生き残ってしまったのだろう。
何も知らずに一人のうのうと、幸せになろうとしていた自分が憎い。
そして涙が枯れた頃、ようやく記憶の中から一つの鍵を探り当てた。それは本当に小さな手がかりでしかなかったが、闇に沈んだあの時の自分を導くには十分だった。
必ず犯人を見つけ出しこの手で復讐する。
憎悪の焔がの瞳に灯った瞬間だった。
いつのまにか力をこめていたのか、爪の中に土が入り込んでいた。はそれを一瞥すると立ち上がる。
「行ってきます」
少し遠ざかった位置から、一度だけ廃墟を振り返ってそう呟いた。次にここを訪れるのは全てが終わってからになる。その時には、たとえ空でも良い、二人の墓標をつくろう。
”行ってきます”と言う言葉に対し、”いってらっしゃい”の返事は返ってこない。代わりに小さく鳴った大気が、二年前よりも長くなったの髪を撫ぜた。
それはある意味、決別の言葉だったのかもしれない。
他の誰でもなく、・と言う名前の自分自身にとっての。
その夜、日付が変わり、18になったその身には錬成陣を刻んだ。アゼシアンの丘で見たあの落雷を、封じ込めるようにナイフを動かしていく。
激痛に目頭が熱い。滴る紅が手を染めたが、そのうちそれも気にならなくなり、ただ静かに、自分自身に言い聞かせた。
私に”私”はいらない。
私が持つのは目的を貫くための剣だけでいい。
だから全てここに置いて行こう。
切れ味を鈍らせるものは全て捨てて行こう。
”代価”である私には何もいらない。
等価交換だというならば、この痛みすらその代償なのだから。
私に”私”は必要ない。
to be continued
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