「では早速最初の修行だが、この子の世話だ」

翌朝、朝食を終えた後、が一番最初に連れて行かれたのは、台所の奥まった位置にある小さな部屋だった。

「・・・あの・・・?」

シズキの示した先には、ふかふかのクッションを敷いたバスケットがあり、その中には赤茶色の毛並みを持つ一匹の猫がいる。はシズキの意図が全く解せず、訝しげに黒髪の師匠を見上げた。

「お腹が大きいだろう?もうすぐ母親になるんだ」

だがシズキは静かに微笑むと、の視線を猫の腹へと導いてやる。大きく膨らんだその部分は、確かに複数の生命の息吹が感じられた。

「名前はミラ。基本的に日に三回、新鮮な水とご飯をあげて、朝と夕の二回ブラッシングしてあげること。後は時間があるときに構ってやればいい」

「はあ・・・・・」

はどうにも釈然としないまま、小さく返事をした。一体猫の世話と錬金術の修行と何の関係があるというのだろう。だが、師匠に反論するわけにも行かず、困惑した視線をミラという名の猫に向けた。










第2話 師匠










”精神を鍛えるのはまず肉体からと言う言葉があるように、私の修行は厳しい”

弟子入りした時に言われたとおり、シズキがに課した修行の内容はとても過酷なものであった。
元々北部の山間にある村で育ったは、運動神経は人並みはずれて良い方であったが、体力的には全く不十分なのだと言う。そのためまず徹底的な基礎体力作りが行われた。

朝は四時に起床し、町外れの丘のふもとを5キロのランニング。朝食をとった後、腕立て伏せと腹筋をそれぞれ五百回ずつ。昼からはシズキの指南の元、体術訓練を受け、夕方に朝と同じく丘のふもとを走る。
のような少女どころか、大人でも悲鳴をあげそうな修行を続けるうち、初めの二週間で元々細身であった彼女の体重は6キロ近く減少した。だが、彼女は泣き言一つ漏らすことなくすべてをこなしていった。





「たとえどんなに鍛えたところで、女の腕力など男に比べればたかが知れている」

修行を始めて一月ほどしたある日の午後、痣だらけの体を木陰に憩わせて、僅かな休息をとっているにシズキはに言った。

「ならばどうするか?野を焼く炎の勢いは確かに脅威だが、大地を駆ける風の速さに追いつくことはできない。岩の如き豪腕は鋼鉄すら砕くかもしれないが、水のしなやかさの前では全くの無力だ。旬敏かつ柔軟な動きは相手を翻弄する。反撃の隙を与えなければいい」

天性の才とも言える飲み込みの良さで、基本の動きを完璧なまでにその身に刻み込んだに、シズキが何よりも求めたのは”速さ”だった。
余分な動作が少なければ少ないほど、動きは格段に速くなる。極限まで無駄をなくした疾風の速さ、柔軟かつしなやかな流れる水の動き。それらはにとって最大の武器となる。
















「何を考えているんだ、姉さん!!」

軽い衝撃に、テーブルの上の紅茶の水面が小さく揺れた。シズキはさして驚きもせず、静かに声を発する。

「落ち着きなさいイズミ」

「これで黙っていられるわけが無いでしょうが!!」

シズキの向かいに座った人物、イズミは声を荒げてもう一度テーブルを叩いた。
黒髪に青い目を持つイズミ・カーティスは、シズキの妹だ。イズミは特徴的髪形をしていたが、シズキと並べば、二人を知らない者でも、血縁者である事に気づくだろう。年はやや離れているが、この姉妹の面影はよく似ていた。

「国家錬金術師になるためだと知っていて修行させるなんて、どういうつもりなの!?」


シズキは、を連れてダブリスを訪れていた。
それは修行の一環として、同じ錬金術師である妹のイズミに合わせるためだが、深夜である今、自身はずいぶん前に二階の部屋で眠りについている。
そのため久々に会う姉妹同士、会話を楽しんでいたのだが、その内容がの弟子入りした理由に触れると、イズミが突然声を荒げたのだ。

国家錬金術師を、良く思わない者は多いが、イズミは特に毛嫌いしていた。それだというのに、錬金術師としても尊敬する姉が、”国家資格を取りたい”と言う理由で弟子を取ったのというだから、イズミが困惑するのも当たり前だ。

「今すぐにでもやめさせるべきだ!!」

「落ち着きなさいと言っているでしょう、イズミ」

「・・・・・・・・・」

小さく嘆息したシズキに見据えられて、イズミは言葉を飲み込んだ。活発な妹をなだめるシズキの落ち着いた態度は昔から全く変わらない。

「私だって別に国家錬金術師になる事に賛成なわけじゃないさ」

「だったらなんで・・・・」

シズキが紅茶を一口すすって苦笑すると、イズミは眉を寄せた。

「私とお前が別の人間だからだよ」

シズキはソーサーにカップを戻すと、テーブルの上で両手を組んで顎を乗せた。

「イズミ、お前はあの兄弟を弟子に取った時に言っていただろう?間違った道を選ぼうとしているのなら正してやるのも師匠の役目だと」

「まあ、そうだけど・・・・」

イズミの脳裏を金髪金目の兄弟の姿がよぎる。


「そこが私とお前の違いだよ。二人以上の人間がいれば思考は分岐する。間違いを正してやるのだけが師匠の役目じゃないさ」

数年前、半年の間イズミの弟子として過ごした彼らとシズキは面識こそなかったが、それなりの経過は知っていた。

には目的をやり遂げられるだけの才能も力もある。何よりあの子は強い目をしているだろう?意志を貫いて真っ直ぐに進むだろうね。だから誰かが何か言った程度では止められないんだよ」

「けど姉さんなら・・・・」

「止められると思うか?」

シズキは視線を上げてイズミを見つめる。

「少なくとも私はそう思うけどね」

「確かに出来なくはない。だが私はそうする気は無いよ」

イズミがむっつりと口を引き結んでそう答えると、シズキは小さく笑った。

「私がしてやれるのは正しい道に導いてやることじゃない。あの子に必要なのは自分の意志で道を選ぶ力だ。正しいかどうかは他人が決めることじゃないだろう?大切なのは自分で選んだ道の先にあるものを見極めて、必要ならば引き返す自由があることを教えてやることだよ」

「・・・・相変わらずだね、姉さんは」

錬金術の理論に関してもそうだが、姉であるこのシズキ・ハーネットはその思考ですら何かを超越したようなところがある。言い負かすのは無謀だと理解して、イズミは大きくため息をついた。





to be continued





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