翌日、結局明け方近くにようやく仕事を終わらせたは、自宅に帰ることなく司令部の仮眠室で朝を迎えた。
まだ足りないと睡眠を欲する若い体に鞭打って、固いベッドから起き上がり背伸びを一つ。近くにあるトイレで顔を洗って簡単に髪を整え、鏡を覗き込めばそこには予想以上に大きなクマを作った自分の顔。
(うわ・・・酷い顔・・・・)
色が白いせいでよけいに目立つクマに眠そうな目元。軍人になってから美容にはほとほと無関心になっていただが、流石にこれは見逃せない。
(今日は何が何でも早く終わらせなきゃね)
眠気覚ましに両手で頬をぺちぺちと叩く。鏡の中の自分に言い聞かせるように一度無言で頷いてみせると勢いをつけて廊下に出た。
(あ・・・・今日はなんだか降りそう・・・)
窓の外は朝だと言うのにどこか薄暗く、どんよりと厚く広がった雲が、遠くないうちに雨が降り出す事を告げていた。
第7話 錬金術師の苦悩
「大丈夫ですか?」
が本日何度目かになるため息をつくと、自分のデスクの正面に座るホークアイから声がかかった。顔を上げると彼女は心配そうにこちらを見ていた。
「・・・すみません中尉・・・だらしないですね」
「いえ、そんなことより顔色が良くないですよ・・・・無理をなさらないで仮眠室を使われてはいかがですか・・・・?」
「あ、いえ本当に大丈夫ですよ。それにこの書類を終わらせればお昼の休憩ですから」
どうぞお構いなくと付け加えては笑った。
「ならいいんですが・・・・・」
ホークアイは多少の難色を見せたものの、本人がいいというのにこれ以上追求するのは失礼と判断し仕事を再開した。
(・・・まいったな)
自身もまた机に目を落としてペンを動かしながらは思う。
これ以上心配させまいと、ホークアイにはああ言ったが、どうやら自分で思っている以上に体はまいっているようだ。過度の睡眠不足から来る頭痛は思考を妨害するため、仕事は遅々として進まない。これは昼食の時間を削ってでも仮眠をとるべきかなと、考えていると誰かの呟きが聞こえた。
「あーあ・・・ついに降りだしたか・・・」
その声につられて視線を向ければ、窓を打つ大粒の水滴。タン、タタンと不規則なリズムを刻むそれは急速にスピードを速めていき、間もなくザーっという音とともに雨となった。
(やっぱり降ってきちゃったか・・・・これじゃ今日はニーナ退屈してるわね)
とりあえずこの書類を片付けなければと再びペンを動かしていると、雨の音が響く室内にもう一つの音が加わった。音源はの向かいの壁際に設置された電話機である。数回耳障りな電子音が鳴るうちに、椅子から立ち上がったホークアイが受話器を取った。
「はい、司令本部・・・・・あら、エドワード君?」
事務的な口調で話し始めたホークアイだが、受話器の向こうに居るのが慣れ親しんだ相手であることに気づいて、少しそれをゆるめた。
(エドワード君?・・・どうしたんだろ、いつもならタッカーさんの家に居る頃なのに)
意外な時間に意外な人物から電話が入った事で、手を動かしながら何となく会話に耳を傾けていたは思わず顔を上げる。
「大佐?・・・・ええいるわよ、今換わるから少しまってね」
そう言って一度受話器を置くと、ホークアイは執務室側の扉近くに居る数人に向けて声を発した。
「マスタング大佐をお呼びして」
「あ・・・はい!」
数人のうち一番若い男が慌てて立ち上がり、執務室に入っていくと、ほどなくして現れた不機嫌顔のロイが受話器をとる。
「私だ・・・・鋼のか?珍しいな君が司令部に電話をかけてよこすとは・・・・で、用件は何だ?」
そこで一旦ロイの言葉が切れる。に会話の内容はわからないが、受話器を持つロイの表情が険しくなったのは見て取れる。彼が次の言葉を発するまでに少しの時間を要した。
「・・・そうか、わかった。では今から・・・・・・何、少佐?」
(え・・・何?)
突然ロイの口から自分の名前が出た。
思わずそちらを向くと、同じようにこちらを向いたロイと一瞬目が合う。だがすぐに視線を落とした彼は受話器に向かって告げた。
「・・・それは無理な相談だな鋼の・・・・そうだ、それが仕事だからな・・・・・ああ分かった、ではな」
ロイは静かに受話器を置く。カシャンというその音がやけに大きく感じられた。
「鋼の錬金術師から連絡があった。綴命の錬金術師、ショウ・タッカー邸で非常事態だ」
振り返ったロイが発した言葉で、室内がにわかにざわつく。
(!・・・・・)
は驚愕に目を見開いた。
「私はこれから現場へ向かう、少尉以下の人員は通常業務を続けて構わない」
ざわめきを制するように一度手を上げたロイがさらに続ける。
「「「「はっ!!」」」」
その言葉にいくつもの返事が重なった。
「大佐・・・!」
命令を残したロイが、司令室から出るの見計らって自分も外へ出たは彼に声をかけた。
「あの大佐・・・・エドワード君は何て?」
「口では説明し難い・・・・とにかく見れば分かる。一緒に来れるな、少佐?」
「・・・・・はい」
厳しい目でそう言うロイに何かただ事ではないものを感じたは、小さく息を飲んで頷いた。
(・・・なんだろう・・・凄く嫌な予感がする・・・・・)
軍服の胸元を無意識に握り締めては漠然とそう思った。
「エドワード君、アルフォンス君!!」
ロイを始めとする司令部の軍人と共にタッカー邸に到着すると、一番最初に車を降りたは玄関前に座り込んでいる二人をみつけてすぐに走り寄った。
「・・・少佐・・・」
顔を上げたアルフォンスが発した声はどこか覇気が無く、隣に座るエドワードは俯いたままだ。
「一体何が・・・?それに2人ともびしょ濡れじゃない・・・・・」
「・・・大佐から何も聞いてないんですか?」
「うん・・・見れば分かるとしか・・・・」
「・・・そっか・・・・確かに説明するくらいなら見たほうが早いでしょうけど・・・・」
俯いたアルフォンスが呟くように続けた。
「・・・できれば少佐には見て欲しくなかったな・・・・」
「・・・アルフォンス君?」
「ううん・・・なんでもないんです・・・・・あ、大佐・・・・」
首を振ったアルフォンスは、近づいてきたロイに気づいて再び顔を上げた。
「手間をかけたな。タッカー氏と・・・・・例の物は?」
「あ・・・・・えっと奥の研究室に・・・・・」
「そうか」
感情を感じさせないロイの問いに、どこか躊躇いがちな返事を返す。
「”物”扱いかよ・・・・・」
それまで黙っていたエドワードが俯いたまま低い声を漏らした。
「それ以外に言い様もないだろう」
「・・・・・・・」
「兄さん!!」
エドワードは突然立ち上がると、達の横を通り抜けてどこかへ走り去ってしまった。アルフォンスは”失礼します”とだけ言い残してその後を追う。
「大佐・・・・」
その後姿が見えなくなるとはロイの方を向いた。
「・・・タッカー氏は研究室だそうだ。何があったかは自分の目で確かめろ、行くぞ」
雨が降っているため窓から入る光も少なく、元より薄暗い廊下は研究室から漏れるわずかな明かりがなければ、何も見えないほどであった。
その廊下を通って部屋の中に入ったロイ達はそれぞれが言葉を飲み込んだまま、その光景を眺めていた。
床には無残に散らばった資料や割れた実験器具の破片。血の飛び散った壁にはおそらく殴られたのだろう、顔中腫らせて先ほどから何かぶつぶつと呟いているタッカー。
そしての足元には、彼女が部屋に入ってくるやいなや、嬉しそうに尻尾を振って近づいてきたそれ、一見犬の様に見える茶色の鬣を持つ一頭のキメラ。そのキメラは、彼女の足にじゃれるように鼻先をこすりつけている。
「・・・・・・・・」
無言のまましゃがみこんだは甘えるキメラの鬣を優しく撫でる。さらりとした感触には覚えがあった。先ほどのエドワード達の様子と荒れた部屋、タッカーの傷、そしてこのキメラ。
それらを見たは何があったかを悟り始めていた。だがまだ確証がない。いや認めたくない、間違えであって欲しいとさえ思っていた。
「お・・・・ねえちゃ・・・・ん・・・・・」
そうキメラが、かつてニーナであったキメラがくぐもった声でそう言うまでは。
「っ!!」
はたまらずそれを抱きしめた。
「あそぼう・・・・・あそぼうよ・・・・」
何も分からないキメラはただ抱きしめられたことが嬉しくて大きく尻尾を振っている。
「っめん・・・ね・・・・・ごめ・・・・んね・・・・・・」
きつく閉じた瞳から熱い涙が幾筋も流れ落ちる。
「は・・・・ははっ・・・・どうだ、私の最高傑作は!?・・・・気に入ったんだろう?そうだろう?」
壊れた機械のように”ごめんね”と繰り返すの様子に、タッカーが狂ったような声で言う。
「・・・あなたという人は・・・・!!」
その声に心の中で何かが弾けたは次の瞬間タッカーに掴み掛かっていた。
「あなたという人はっ・・・・!!」
「少佐やめろ!」
今まで黙って状況を見届けいたロイが、今まさに振り下ろされんとしているの腕をつかんだ。
「拷問は禁じられている。そんなことぐらい知っているだろう」
「でも・・・・だって・・・・この人は・・・っ!!」
泣き叫ぶようにロイに言う今のに冷静さは無かった。必死で言い訳を探す子供のようにただ無意味に”だって”と繰り返す。
「殴ればいいじゃないか!?あの子供のように!!娘の目の前でなっ!!」
「!・・・・・あ・・・・」
タッカーの言葉に我に帰ったはキメラの方を見た。”お父さんに何するの?”とでも言うように首をかしげているその姿にまた涙が溢れた。ゆっくりと力の抜けていく様子に気づくと、ロイは静かにその手を離す。
解放された腕を一目見て、は突然研究室の扉から飛び出すと、屋敷の外へ向かって走っていく。
「少佐っ!?」
思わずその後を追おうとするハボックにロイの鋭い一括が飛ぶ。
「どこへ行くハボック?」
「何言ってんっすか!?少佐を追っかけないとっ!!」
「今は勤務中だ」
ロイのあくまで冷静な態度にハボックの苛つきが高まる。
「大佐だって気づいてたんでしょう!?なんで少佐が毎日残業してまでここに通ってたか・・・・だったら・・・・」
「それとこれとは関係ない。公私の区別くらいつけられんのか?」
「っ、もうういいっ!!」
何処までも平行線な会話に見切りをつけたハボックはロイに背を向ける。
「ほう、お前も任務放棄するか?」
「悪いですがそうさせてもらいます」
「そうか、なら減俸処分くらいは覚悟しておけ」
「それくらいですむなら安いもんっすよ」
そう毒づいて、ハボックもと同じように部屋から飛び出していった。
「ハボック少尉!!」
「行かせてやれ、中尉」
「・・・・ですが・・・」
ホークアイは二人の飛び出していった扉を振り返る。
「・・・・まったく、子供ばかりで適わんな」
深くため息をつくと、ロイはタッカーの方へ向き直った。
「さて・・・・」
「はは・・・・どうです私のキメラは。これなら査定も・・・・」
「ご承知の通り」
薄ら笑いを浮かべるタッカーを見下ろして、ロイは淡々と言葉を告げる。
「人体を使った練成実験は重罪です。ショウ・タッカー、貴方の身柄を拘束します」
「そ・・・・そんな・・・・待ってくれ!!」
タッカーの顔色が変わる。
「やっと・・・やっと完成したんだ!!人語を理解するキメラだ!!軍にとっても有益なはずだろう?だったら・・・・」
「有益かどうかは私には判断しかねます。唯一つ、あえて言うなら・・・」
ロイはちらりとキメラに目を向けるとまたすぐタッカーに視線を向けた。
「貴方は失格ということだ。錬金術師としても、人の親としてもね」
「く・・・・」
ロイの表情は睨むわけでもなくただ無表情で、その声にも一切の感情はこめられていない。その様子にわずかに怯えたタッカーはようやく押し黙った。
「セントラルに護送されるまで、これから外に24時間体制で監視をつけます。くれぐれも屋敷から出よう等と考えないように。では」
ロイはタッカーに背を向けると部屋から出る。その後ろにホークアイも続いた。
「ったく・・・・何処へ行ったんだ?」
どしゃ降りの雨の中をハボックは先ほどからずっと走り回っていた。タッカー邸を出てから早15分。全身ずぶぬれ状態の彼はを探し回っている。
イーストシティの郊外にあるこの辺りの地理はさほど無いが、それはも同じであり、何よりこの雨で女の足だ。自慢ではないが足には自身がある、そろそろ追いついてもいい頃だと一度足をとめて建物の下に入った。
(ん?)
ふと横を見れば、今自分のいる建物と建物の間に裏道のような細い路地が続いている。
漠然とそこを通り抜けていくと突然視界が開けた。どうやら街外れに出たようだ。小高い丘のようになっているそこには忘れられたようにたたずむ古い教会。その扉がわずかに開いている。
確証を得たハボックはゆっくりとそこに入っていった。
(・・・ずいぶんと使われてないみたいだな・・・)
祭壇へと続く長い廊下の左右に整然と並ぶ長椅子には随分と埃が積もっていた。だが、それでも天井近くにかかるステンドグラスや神像の荘厳さは失われること無くその存在を静かに息づかせている。
それらを眺めながら廊下を進むと祭壇の上、十字架に張り付けられた異教の神像の真下に彼女は居た。
「・・・・」
天窓から差し込む僅かな光に照らされたの後姿。今にも消えてしまいそうなその儚げな姿に一瞬声をかけるのが躊躇われた。
「ジャン・・・・」
ゆっくりと振り返った彼女の表情は後姿よりもさらに儚げで、ハボックは思わず走り出していた。
「・・・どうしてここが?」
祭壇に飛び乗って自分の隣に来たハボックには小さな声でたずねた。
「そんなことどうだっていい。それよりずぶ濡れじゃないか!!」
「ジャンだって似たようなものじゃない・・・・」
自分以上に酷い状態のハボックの様子には僅かな笑顔を向けた。その泣き笑いの表情にハボックは胸を締め付けられるような気がした。
「・・・見て・・・・」
はゆっくりと腕を上げると真上にある十字架を指差す。
「ここはね・・・・遠い西の大陸の教会なの・・・・錬金術師は科学者だから神様なんて信じないし信仰心も無いはずなのに・・・・・変ね、今なら少しだけ信じる人の気持ちが分かる気がするの・・・」
「・・・・」
”私はニーナに自分の面影重ねてるのかもしれない”
彼女が自分にそう語って見せたのは昨日の夜のことで、そして今日、その少女はキメラになっていた。の今の気持ちがどんなものなのか想像できなくはないが、軽々しくかける言葉は見つけられない。
「私は・・・・一度タッカーさんの様子が変だったのに気づいたのに・・・・・あの時に何かしていれば・・・・こんなことにはならなかったのにっ・・・・・私の・・・・せいでっ・・・・ニーナはっ・・・・」
最後の方の言葉は嗚咽が混じっていた。爪が喰いこむほどきつく握り締めた拳に血が滲む。
「っ・・・・」
見かねたハボックは思わずの細い体を抱きしめていた。
「・・・ジャ・・・ン?」
突然のことに目を見開くの頭に手を回して、自分の肩口に軽く押してやる。
「君のせいじゃない・・・・少なくともあの子はそんな風に思っちゃいなかった・・・・」
「・・・・・でも」
「それでも泣きたいなら・・・・しばらくこうしててやるから泣けばいい・・・・これなら泣き顔見られなくて済むだろう?」
あやすようにの背中をポンポンと叩いて、ハボックはもう少しだけ強く彼女を抱きしめた。
濡れた服越しにハボックの体温が伝わってくる。温かいぬくもりに包まれて瞳からはぽろぽろと涙が溢れた。
「ぅ・・・・くっ・・・・」
はたまらずハボックの胸の軍服を握り締めて、肩に顔を押し付けた。しゃくりあげる背中を撫でながらハボック天窓を見上げる。
嗚咽は漏れるが泣き声は上げないの代わりの様に、降りしきる雨はさらにその勢いを増していく。
to be continued
back next
あとがきという名の言い訳 vol.7
とりあえずこれで合成獣編は完結です。微妙に歯切れの悪い終わり方ですが、第8話からスカー編に入ります。
後半部分はまたも前回に引き続きハボックのいい所取りだったり(苦笑)なんだか大佐が随分と冷たい人のようですが弁解させてください(笑)ロイは司令官である自分が動くことが出来ないので意図的にああいう態度をとりました。相当部下に対して甘い人物になってますが・・・・まあ、これ夢だし・・・と逃げてみる(爆)
そんなロイさんですがスカー編あたりからは活躍させたいと思います。
余談ですが、神埼は夢小説を書く際大抵、鋼のアニメのサントラを流してます。イメージから書き出すタイプなので雰囲気に合った曲をエンドレスにすることが多いんですが、今回は1に入ってる『落陽』でした。
静かに、でも確実に募っていく悲しみ・・・・表現したいのはそんなとこですが、形に出来てないのは私の文才が無いからです;