「一足遅れか」

病棟の廊下でソファーに座ったロイは、苦々しく呟いて足の上で手を組んだ。とホークアイの表情も重い物になる。

僅かな希望を抱いてマルコーの元を訪れたブレダが持ち帰った答えは、芳しい物ではなかった。彼が訪れた時には既にマルコーの姿は無く、無人の部屋は荒れていた。誰が見ても連れ去られたのだと言う事がわかる。

人造人間(ホムンクルス)の中に変身できる奴がいるという。そいつの仕業かもしれんな」

「くそ・・・気色悪い!!」

ロイの言う人造人間(ホムンクルス)が、自分の姿に化けたのだと認識して、ブレダは忌々しげに吐き捨てた。

「俺、年内の休暇全部使っちまいました。もう自由に動けません」

「手詰まりか」

ロイは組んだ指に力を込めた。










第35話 決意の表明










「では失礼します」

ロイ達が歩いてくると、ハボックの病室から見慣れない一人の軍人と、その男に肩を抱かれて一人の女性が出てきた。

「?」

彼らは気付くことなく行ってしまったが、女性が目元にハンカチをあてて涙ぐんでいたのを見て、ロイはその後姿を目で追った。

「俺の親と退役軍人局の人っスよ」

すると病室の奥から声がする。窓際のベッドに横たわるハボックだ。屈強な体躯を誇る彼だが、その声に覇気は無く、ここ数日の間にやつれた感がいなめない。

「退・・・」

「留置所襲撃犯捕獲の際の負傷で、退役って事になりました」

「ちょっと待て!退役してどうするんだよ!」

「俺の実家は東部の田舎で雑貨屋をやってんだ。電話番くらいはできるだろ」

何でそんな重要な事を勝手に決めているんだとばかりにブレダが詰め寄ると、ハボックはさらりと答えて見せた。

「まだ治らんと決まった訳では・・・」

「自分がもう使えない人間だってわからないほどバカじゃないっス」

ハボックはわざと伏せていた目をロイに向けた。

「動けない駒はこの軍にはいらない」

飄々としていながらもハボックの青い目はいつも、いきいきとしていた。だが今の彼の目はまるで全て望みが絶たれたかのように荒んでいる。

「諦めるのか」

「この足でどうしろってんですか」

「しかし・・・・!!」

まだ何か方法はあるはずだと、ロイは何とか食い下がろうとする。

「・・・・んて目してんだよ」

だが、そのやるせない表情のロイに、ハボックの中で何かが弾けた。彼は力任せにロイの胸倉を掴んで引き寄せる。

「捨ててけよ!!置いて行けよ!!」

ロイは目を見開く。
激昂して自分の胸倉を掴んで声を荒げるハボック。覚えのある光景だった。だが、初めて彼がそうしたあの第三研究所の時とは比べものにならない程の様子に、ロイは言葉を飲み込んだ。

「あんたこんな下っ端にかまってる暇あんのかよ!!ヒューズ准将との約束があるんだろうが!!」

突然の事にブレダは、なんとか落ち着かせようとハボックの体を押さえた。するとハボックは怒鳴るのを止めたが、代わりにその表情を酷く歪めた。苦悩、怒り、絶望、複数の感情が複雑に絡みあったその表情を、言い表せる言葉など存在しないだろう。

「見ろよ、人に支えてもらわなきゃ上半身すらまともに起こせねぇこの体たらくを。同情なんて・・・いらね
だよ!!」

ぴくりとも動かない下半身、思うように動けない上半身。限界点まで募った苛立ちと焦燥から来る怒りの矛先は、自分自身だった。怒りをぶつける相手はロイではない、そう解かっているはずなのに抑える事の出来ない自分にまた苛立つ。

「切り捨ててってくださいよ・・・諦めさせてくださいよ・・・」

血管が浮き上がるほど力を込めたハボックの腕は震えていたが、その声は、まるで懇願するように見る見る小さくなっていった。

「たのむから」

消え入りそうな最後の言葉に、ロイは静かにハボックの手を外した。

「わかった、置いて行く」

ハボックは荒く息をつきながら、ぐっと目を瞑ってうつむく。そして、次にロイの発した言葉に一瞬耳を疑った。

「置いて行くから、追いついて来い」

ハボックの目が見開かれたが、ロイは構わずそのまま背を向けた。

「私は先に行く。上で待っているぞ」

ロイはそれだけ言い残して病室を後にした。










病室から少し離れた廊下にあるダストボックスに腰を下ろしたロイは、傷に手を押し当て苦しい息を繰り返した。

「大佐、無理をなさらないでください」

「傷口が開いてしまいます」

すると不意に目の前に影がさす。顔を上げればそこには二人の副官が、何とも言えぬ表情で立っていた。

「・・・中尉、私の軍服を持って来てくれ」

ロイは痛みに耐えるように、一度大きく息を吐き出した。

「まだとても退院できる状態では・・・・」

「持って来い」

ホークアイはロイの身を案じたが、彼の反論を許さない口調に”了解しました”と頷いた。



少佐、少し話がある」

ホークアイが行ってしまうと、ロイは立ち上がった。

「病室に戻られてからでは駄目ですか?」

「いや、出来れば静かな場所がいい」

「・・・わかりました」













「軍を離れる気は無いか?」

「もう一度言っていただけますか?」

人通りのほとんど無い病棟の一番端まで移動したロイが、開口一番に言った言葉をは即座に訊き返した。距離的に考えて聞こえないはずはないが、ロイは苦笑した。だがそれも仕方が無い、突拍子も無い事を言っているのだから。

「軍を離れる気はないかと訊いたんだ」

確認の意味も兼ねて、所々強調しながらロイはの手を引いて自分の隣に座らせる。

「何をおっしゃってるんですか。突然こんな時に」

ハボックも自身も負傷して動ける人間が極僅かな状況だと言うのに、わざわざ手駒を減らすようなロイには訝るような目を向けた。

「こんな時だからだ」

一体何を言い出すんだと言いたげなに返って来たロイの返答は、彼女の意表を突いたものであった。

「言った通り、私は予想外にでかい獲物を釣り上げた。だが、その代償はどうだ?私はこのザマ、ハボックは下半身不随、君まで怪我を負った」

「私の怪我は大した事ありません」

「そう言うことではないのだよ、

きっぱりと言い返したに、ロイは口調を緩めた。どこか言い聞かせるような優しいそれは、部下としてではなく、恋人としてに接する時のものだ。

人造人間(ホムンクルス)に賢者の石・・・今まで有り得ないと思っていた事が一度に起きた。逆に言えば、今は何が起こっても不思議ではない。解かるか?いつ命を落としてもおかしくないんだ」

何と答えるべきか考え付かず、口をつぐんだままのの髪に、ロイの手がのばされる。

「ハボックにああ言ってておいて矛盾していると思うか?そうでも構わない。いや、笑ってくれていいぞ」

ロイは自嘲するように笑って、そのまま軽く髪を梳いての頬に触れた。

「私は君を失うのが怖いんだ」

「・・・あなたは・・・私に一人だけ安全な場所に逃げろと言うのですか?」

は両手でそっとロイの手を外し、膝の上できゅっと握った。

「逃げるんじゃない。君があるべき場所に戻るだけだ」

「あるべき場所?」

「そうだ・・・・アルフォンスからあの場での出来事は聞いた。あのラストという人造人間(ホムンクルス)が君の両親を殺させたという話だったな?」

「・・・はい」

ラストの名を聞いたは、表情が曇ったのを隠すため小さく俯いた。

「なら君は、もう目的を果たしたのではないか?」

は弾かれたように顔を上げた。

「バリーが言っていたように、賢者の石とその研究の関係者は全て殺されている。君の両親に直接手を下した者達は生きていないだろう。ならば・・・間接的にではあるが、君は両親の仇を討つと言う目的を果たした事にはならないか?」

「それは・・・」

は頷く事こそしなかったが、否定もしなかった。
事実だけを見るならば、最終的な止めを刺したのはロイだが、がラストに一矢を報いた事は間違い無い。そう考えれば確かに彼女は両親の仇を討った事になるのだろう。だがそれは、彼女自身が全く考えもしなかった事だ。

「だから君は、もう軍の狗でいる必要も、こんな命のやり取りをする殺伐とした場所にいる必要も無いんだぞ?本来歩むはずだった平穏な道に戻っていいんだ」

ロイは包帯の巻かれたもう片方の手で、の両手を包み込んだ。
もしも四年前の惨劇さえ無ければ、
そのか細い手に武器を取ることなど永遠になかったはずだ。彼女の優しい碧の瞳が苦悩や悲しみに揺れる事も無く、今ごろは温かい家族と平和で幸せな生活を送っていただろう。

だから、こうなってしまった以上、せめて少しでも早くそんな場所からを遠ざけたい。それがロイの想いだった。


「私は、あなたにとって重荷にしかならない邪魔な存在ですか?」

「違う。大切な存在だからこそ・・・」

「なら・・・私は軍に残ります」

大切な存在だからこそ危険な目にあわせたくない、ロイが皆まで言うよりも早く、は真っ直ぐに彼の目を見据えた。

・・・」

「確かに、私は目的を果たすだめだけに資格を取って、軍人になって今日まで生きて来ました。そして、あなたの言うとおり間接的にでも目的を果たした事になるのかもしれません」

普通の少女として生きていく道も無いわけではなかった。それを捨ててまで仇討ちをすると決めたのは、ただ両親が大好きだったから。強い愛情はそれを奪われた瞬間深い憎悪に変わる。その衝動に駆られ、記憶を取り戻したあの日以来、ただひたすら走って走って、そしてようやくここまで辿り着いた。

ロイの言う通り、ここでゴールラインのテープを切ることも可能なのだ。この先に続く過酷な道を、もう走ることなく、後は自由な方向へゆっくりと歩いていく事もできる。

「けど・・なら、なおさら残らせてください。私は結局あなたに助けられてばかりで、自分の力では何も出来なかった。こんな私でも邪魔にならないなら、力にならせてください」

だがは気付いていた。ここまで来れたのは、背中を後押しをしてくれた人達がいたからだ。自分一人ではきっと半分も来れなかった。ならば、今度は自分がそうする番だ。

「だが・・・さっきも言ったが、今は何が起こってもおかしくない状況だ。間違いなくこの先もっと激化するだろう。銃を手に取る機会も多くなるはずだ。そうなれば、君のその手を・・・誰かの血で汚す事になるぞ」

ロイの口調は諭すように少し強くなった。脅しではない、彼の言う事もまた事実だ。

「君が誰かの命を奪う事が嫌だというのは薄々気付いていた。それでも君が進み続けてきたのは、仇を討つという目的のためだというのもね。だったら、本当にそうなる前に軍から離れろ。私が君を守るから」

「嫌です」



ロイは真剣な目をしていたが、短い返答の後は首を横に振った。

「そんなの、絶対に嫌です」

もう一度そう言って真っ直ぐに自分を見たの気迫に、ロイは僅かに気圧された。

「”命を奪う立場になるのなら、誰よりも命の重さを知れ”師匠にそう言われて、それを信念にしてきました。ただ、それ以外にも、人の命を奪うのが怖かったのも本当なんです」

言葉を失ったロイには淡々と言葉を紡ぐ。

「でも今の私は、この手で誰かの命を奪うよりも、何かがあった時にあなたの・・・ロイの傍にいられないほうがよっぽど怖い」

第三研究所でのあの夜、ラストにロイが死んだと言われた時、心臓が鼓動を止めた気さえした。実際には彼は生きて自分達の前に現われたが、それでも酷い重傷を負っていた。それを見た瞬間どれだけ後悔したのだろう、あの時引き返していればこんな事にならなかったのではないかと。

そして、その経験は言いようの無い恐怖をに植え付けた。自分の手の届かないところで、ロイが死んでしまうかもしれないと言う恐怖。あんな思いはもう二度としたくない。


「師匠の言葉を軽んじるつもりはなくても、結果的に私のやっていることは同じです・・・それでも、あなたのためなら、私はいくらでも引き金を引けます」

の強い瞳がロイのそれを射抜く。
常にたたえられた微笑の中に、は時折鋭く研ぎ澄まされた表情を見せることがあった。だがロイは、今の彼女はそのどれとも違う気がした。

「覚悟はできています、奪った命の数だけ、その重みも背負うから・・・だから、お願いします。あなたの部下として、傍らに置いてください」

そこには絶対零度の凍れる憎悪も、焼き尽くす業火の怒りもない。

「守られてるだけなんて嫌です。守らせてください私にも」

それは決意をした者の目だ。かつてロイが、ある金色の少年を評して言った焔の点いた目。この瞬間、のそれには新たな焔が点った。もう迷わないと決めた、強く美しい碧の焔、深淵なる漆黒でも失われる事を知らない確かな光耀。


「・・・もし命令だと言ってもか?」

ロイはそう言ったが、その瞳を前にして、命令できるはずも、そうする気も無かった。

「ロイは私のことを買い被り過ぎです。たとえ命令でも、従うほど大人しくは無いですよ」

が柔らかく目を細めると、ロイは肩を落として何度目かの苦笑をした。

「そうか・・・すまない、弱音を吐いた。忘れてくれ」

「はい」

ロイがゆっくりと腰を上げると、も彼と向かい合わせになるように、すっくと立ち上がった。

「では少佐。私の副官として君に命じる。私について来い。この先、私の傍を離れる事も、私より先に死ぬ事も許さん」

「Yes,sir!」

ロイが発した大佐としての言葉に、直立不動の体勢からは迷うことなく敬礼する。
決意の表明の余韻を残すかのように、高く鳴らした踵の音が廊下に反響した。


「君は少し変わったな、

「おかげさまで」

敬礼を下ろしたをロイの腕が包み込んだ。二人がこうして抱擁を交わすのは久しぶりの事だった。

「・・・私からも一つお聞きしてもいいですか?」

「なんだ?」

腕の中から、がロイを見上げた。

「アルフォンス君から、あの時の話をお聞きになった言われましたが、私の体の事も?」

「・・・ああ」

ロイは少しの間の後頷いた。の体に施された特殊な練成、その過程でもたらされた特異現象。そして彼女を追い込んだラストの言葉を聞いたのは、僅か数日前のことだった。

「・・・黙っていましたが、私は少し前からエドワード君と同じように練成陣無しで練成できるようになりました。それは真理と呼ばれる物を見たからなのだと」

は静かにロイの腕から抜け出した。

「気持ち悪くは無いですか?一度死にかけた私の体は人造人間(ホムンクルス)
に近い人工物で、魂だけが人間・・・そんな中途半端な生き物でも、あなたは・・・」

これ以上が自傷の言葉を発する前に、ロイがその唇を奪った。啄ばむように何度か角度を変えて口付けた後、ロイはもう一度自分の胸にを抱いた。

「愚問だな。君は君だ。間違いなく私の愛している、という人間だよ」



はロイの背にそっと腕を回しながら思う。

ああ、きっと彼は気付かないだろう。そうやって何気なくかけてくれる言葉の一つ一つが、どれだけ救いになっているのか。


だからこそ、ついて行こうと決めた。


歩いていく、その傍らを。





to be continued





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あとがきという名の言い訳 vol.35

第35話、「決意の表明」でした。
嬢の決意、それは”ロイの部下”として生きる事。元は仇討ちの手段として軍人になった彼女ですが、これで真の意味で”軍人”になりました。これ以降の話では銃を使うシーンも出てきます。というか・・・原作の流れからして、この先錬金術だけでどうにもならない部分って出てくると思うんですよね。もっとも銃だけでどうにもならない部分もあるとは思うんですが。
なんだかんだと言っておいて、嬢にとって銃はある意味”禁じ手”でした。それは本編中の台詞やら心理描写で各所に出てきてますが、銃を使うか否かが、それほど彼女にとっては大きな意味を持っています。だから、今回の話で彼女が彼女なりのけじめをつけた事を感じ取っていただければ嬉しいです。

後一話で第三部は完結になります。
次回は原作部分は少ないのですが、この連載の最後の方に重要な役目を果たす伏線的エピソードが出てきます。(いやバレバレなので伏線でも無いんですが・苦笑)今のところ神崎的鋼原作の終末予想がいくつかあって、そのどれにも転ばなかったらどうしよう・・・という恐怖があるので、どこに挿入するか迷ってたんですが、あえてここで。ある意味大冒険です。