アルフォンスはたった今ラストの唇から次々と紡ぎだされた言葉に動揺を隠せずにいた。
初めて聞いたの凄惨な過去、そして恐らく本人も知らなかったであろうその身に隠された真実。
だがそれは本人の比ではない。
はラストに銃口を突きつけたまま、全く動けずにいた。まるで彼女の時間が止まってしまったかのように。見開かれたままの碧の瞳は何も映しておらず虚ろで、ただ涙だけが流れ続けていた。
しばしの静寂。
第三者であるアルフォンスですら重く感じるほど、絶対的な数秒だった。そして。
「少佐っ!!」
ラストが動いたのと同時にアルフォンスが声を上げた。
普段のなら反射的に避けられたであろう距離。しかし、彼女は悲鳴をあげる事すらせず、その両腿をラストの爪に貫かれていた。
ズルリと爪が引き抜かれるとは力なくその場に膝を付いた。流れ出す血が床を紅く染め上げる。
じわりじわりと痛みが這い上がってくる感覚の中、はその光灯らぬ瞳でラストを見上げた。
「安心なさい、まだ殺したりしないわ。言ったでしょう?あなたには私と一緒に来てもらうと。そこで大人しく見てなさい」
まるで幼い子供に言い聞かせるかのようなラストの声は、遠くの音のように静かに響く。
そしてまた、一筋の涙が流れた。
第33話 咆哮の夜明け
ピチャンと水の跳ねる様な音が、途絶えていた意識を呼び起こした。
酷く荒れた部屋、隣にうつ伏せているハボック。少々寒気がするのは多量の血を失ったせいであろうか。
(・・・血・・・・?)
ロイは僅かに眉を寄せ、そっと自分の左脇腹に触れた。ぬるりとした感触と小さな空洞。眼前にかざした手は紅く染まっていた。
それを見た瞬間、おそらくショックで一時的にとんでいたであろう記憶が一気に覚醒する。同時に、傷口を焼け火箸で抉られるような耐えがたい激痛が来た。
「がっは・・・!!」
口内に溢れた血の味に、ロイは強くむせた。たったそれだけの衝撃でも傷口からは血が溢れ出す。
「っく・・・そ・・・・」
荒く息をつきながら、ロイは床に目をやった。
自分の血によってつくられた血溜まりはそれほど広がってはおらず、気を失ってからさほど時間が経っていないと判る。
「・・・ぐ・・・ぅっ・・・・」
それに気付いたロイは仰向けの体を反転させてなんとか這いずった。無論それだけでも意識を失いそうになるほどの痛みがほとばしる。苦悶に表情を歪めながら、ハボックの近くに落ちていた彼のライターを手に取った。
そして血に塗れた指先で右手の甲に練成陣を描いていく。見慣れたそれが完成すると、ロイは軍服とシャツの前をはだけ一度大きく息を吸い、そしてライターの着火ネジを回した。
「がぁっっ・・・・っ!!」
自らの傷を灼熱の焔が撫ぜた。形容しがたいその激痛に噛み締めた奥歯がみしりと音をたてる。だがその熱によって収縮した皮膚が傷口を塞いでいた。
出血さえ止めてしまえば、痛みは残っても動く事は出来る。ロイは腕に力を込めて身を起こすと、倒れているハボックの体を軽く揺さぶった。
「ハボック・・・おい・・・・ハボック・・・・」
するとハボックはうっすらと目を開いた。それに僅かな安堵を覚えてロイは小さく笑みをもらす。
「よし・・・生きてるな・・・・今から傷口を塞ぐ。意識を失わないように気をつけろ・・・」
「っ・・・俺のことなんかいいっすから・・・・早くを・・・助けに行ってくださいよ・・・」
ハボックの声はヒュウヒュウと空気の漏れるような音混じりで酷くかすれたものだった。
「そんなことは分かっている・・・だから早く塞がせろ時間の無駄だ・・」
自分達を刺した後、ラストが達の方へ向かったのは間違い無い。それはロイも百も承知だ。
「・・・どうせ・・もう助からない」
「何を・・・」
いつになく弱々しいハボックの言葉にロイは眉を寄せる。
「大佐も・・・酷い怪我じゃないっすか・・・俺なんかに構ってないで早く行ってやってください・・・じゃないと・・・大佐だってもたないっすよ・・」
「わかっていると言っている。だから早くその手をどかせ!」
自嘲するような笑みを浮かべたハボックにロイは何故か妙な苛立ちを覚え、無意識にその語尾を荒げた。
「いいって言ってんだよ!」
しかし、突然激昂したハボックに目を丸くする。
「わかってんでしょうが、あんただって!!・・・あいつに・・・に必要なのは俺じゃない・・・あんただ、ロイ・マスタングって男なんだよ!!あんたが死んだらあいつがどんだけ悲しむと思ってる!?だから・・・ぐぁっ!?」
ハボックはロイを睨みつけて怒鳴り声をあげていたが、突然襲った熱気と激痛に言葉を詰らせた。
何が起こったのかわからないまま目を開けば、ライターを手に自分を見下ろしているロイと目が合った。そして次の瞬間鋭い叱責がとぶ。
「ふざけるな!!貴様もう一度言ってみろ!!次はその減らず口を叩く唇を溶接してくれる!!」
珍しく本気で憤怒しているロイにハボックは一瞬唖然としたが、逆にそれが激情に火をつけた。
「っ、いいから行けって言ってんだろ!?惚れた女ほったらかして死にかけた野郎を助けるなんてあんた馬鹿か!?」
ハボックが言い終えると同時にまた焔が爆ぜた。
「がっ・・・っっ!!」
二度目の激痛にハボックはうめいて口をつぐむ。その瞬間ロイの怒鳴り声が降って来た。
「ああ馬鹿だ!!貴様のような無礼で阿呆で図体の割に脳みそは小さくて、この期に及んで私の手を煩わせるような無能な部下をもったのだからな!!」
一気にまくしたてられて、ハボックは続く痛みにに耐えながらも”ひでぇ言われ様”と苦笑した。
「・・・んじゃそんな役立たずはとっとと捨てて行ってくださいよ」
さすがに今度は怒鳴る気力も無くしたか、ハボックの声は穏やかだった。
「傷は塞いだ。役立たずだろうと何だろうと貴重な時間を割いてやったんだ。無駄にするんじゃない、意識を失うな。命令だ!死ぬな!死ぬ事など許さん!!」
「んな・・・無茶な・・・」
ロイの無茶苦茶な命令には慣れているが、出来る物と出来ない物がある。まして生死など自分で決められる物ではない。するとハボックの考えを読み取ったロイがその胸倉を掴んで自分の顔を近づけた。
「なら大佐としてではなくロイ・マスタングとして貴様に言ってやる。ジャン・ハボック!お前はあの時言ったな!?私には負けんと!!」
ハボックの服を掴んだロイの手に強く力が入った。
「ならば生きて、生き抜いて私からあいつを・・・を力づくにでも奪って見せろ!!!」
まるで青天の霹靂の如きロイの言葉に、ハボックは少しの間傷の痛みすら忘れて瞬きを繰り返した。そしてふいにくっと喉の奥で笑ってロイを見上げた。
「・・・・・ああ・・・やってやるさ・・・・」
傷がひきつったのだろう、顔をしかめながらも笑ってみせたハボックにロイの表情もふっと緩む。
「その言葉忘れるな」
ロイはそれだけ言うと、そっと手を離しハボックの体を静かに横たえる。そしてぐっと力を込めて立ち上がった。
向かう先は唯一つ。
「さてと・・・」
ラストは戦意喪失したに背を向けると、ゆっくりとアルフォンスのほうへ歩き始めた。
「悪かったわね待たせて。人柱を一晩に二人も殺さなきゃならないなんて大損失だけど・・・鎧くんあなたの番よ」
「”人柱”・・・・!?”二人も”?」
アルフォンスは身構えながらも、その部分に疑問の声を上げる。
「そう。あなたともう一人・・・・」
「・・・・・もう・・・一人・・・・?」
その言葉に反応したのはアルフォンスだけではなかった。今まで微動だにもしなかったが僅かにかすれた声で聞き返す。するとラストは優美に口端を吊り上げて、背後のに視線だけを向ける。
「そう。あなたもよーく知ってるあの男よ」
その言葉を聞いたのを最後に、の瞳から流れ落ちる涙までもが止まった。人形のように生気を失って俯いた彼女に哀れみともつかない表情を見せて、ラストはアルフォンスに鋭い爪を向けた。
「!!」
だが床から練成した槍を自分に向けた彼に、見開いた目を悟ったようにを伏せる。
「そう・・・あなた扉を開けたの・・・・・」
アルフォンスの持つ槍が突如切断された。
「残念だわ。人柱確定の人材を屠る事になるなんて」
ラストが言い終えると同時に二人は動いた。だが二人が交錯する刹那、ラストの右腕が消失した。
「っ!」
否、正確には消失したのではない、青白く光る閃光に焼き切られていた。床に落ちた途端ざあっと消えていくそれを一瞥したラストの瞳が再び背後のを捉えた。
何時の間にか立ち上がり、激しい憎悪の焔を灯した碧の瞳を自分に向けている彼女を。
「・・・馬鹿な子ね、大人しくしてればこれ以上痛い目にあわなくて済むと言うのに」
ラストは呆れたように嘆息すると、再生中の右腕に代わり、左手の爪を伸ばした。はただ無言でラストを睨みつけたまま歩を進める。
「少佐!?駄目だ、傷口が!!」
の両腿は先ほどラストの爪に貫かれている。本来激痛で立ち上がることすら出来ない状態であろうに、彼女は今気力だけでそうしているのだ。一歩前に進むごとにその傷口から多量の血が流れ出る。
「本当に愚かな生き物」
ラストは無感情に呟いて、の左肩を貫いた。だがそれでも彼女は止まろうとしない。
「・・・まだ足りないのかしら?」
「少佐!!」
ラストが引き抜いた爪をさらにに伸ばそうとするのを見て、耐え切れなくなったアルフォンスは二人の間に立ち塞がった。
ガキっと音をたてて、ラストの爪がアルフォンスの鎧を貫く。だが、血印にまでは届かなかった。
「逃げなさいアルフォンス君」
アルフォンスの背後からの声が聞こえた。
「いやだ!!」
まるで彼女のものではないような低く押し殺された声に、アルフォンスは即答した。その合間にもラストの爪が新たに鎧を貫く。
「いいから逃げなさい!こんな・・・化物みたいな私のためにあなたが傷付く必要なんかないわ!!」
再生を終えたラストの両手の爪がアルフォンスを貫く光景に、は悲鳴に近い声を上げた。
「少佐は人間だ!!」
アルフォンスの叫び声にが初めて立ち止まる。
「少佐も、こんな体のボクだって心を持った人間なんだ!!」
続けられた彼の言葉に、ラストまでもが動きを止めた。
「だからいやなんだよ!!ボクのせいで・・・自分の非力のせいで人が傷付いたり、死ぬなんてもう沢山だ!!」
アルフォンスの脳裏に、守れなかった人々の顔がよぎる。どれだけ悲しんだだろう、どれだけ後悔したのだろう。
「守れたはずの人が目の前で傷付いて行くのを、死んで行くのを見るのは我慢できない!!」
刹那、確実に血印を狙ってラストが腕を振り上げた。だが交差したアルフォンスの腕がそれを防ぎ、同時に声が響いた。
「よく言ったアルフォンス・エルリック」
「「「!!」」」
驚愕したのは全員だったが、アルフォンスは素早く壁を練成するとの体を抱きこんで身を隠した。
直後、爆炎があがり、足を焼かれたラストは膝をついて振り返った。
「なんですって!!」
「戦の主導権を握るにはまず敵の機動力を削ぐ・・・奇襲も有効的だ覚えておけ」
そして、その場に立っていた、死んだと思っていたロイに目を見開く。
「ようやく跪いたな人造人間」
ロイは発火布の代わりに火種にしたライターを高く掲げ、そして手加減無しの焔を放った。
「がっ・・・!!」
立ち上がることが出来ないまま、ラストは歯を噛み締めた。
「あの傷と出血でどうやって!!」
「焼いて塞いだ!!」
ロイは焼け爛れた左脇腹に手を当てた。
「二、三度気絶しかけたがな・・・・・!!」
言っている傍から額を多量の汗が伝い、気を抜けば一瞬で意識をもていかれそうになるほどの激痛が続いている。
「ロイ・・・っ!!」
「だめだ少佐!!」
たまらず飛び出そうとするを押さえ込んで、アルフォンスは壁に身を伏せた。再び焔が爆ぜ、熱風が吹き荒れる。
「貴様はこう言ったな”まだまだ死なない”と。ならば、死ぬまで殺すだけだ」
ロイは容赦なく焔を放ち続けた。
成す術無く焼かれ続けるうち、ラストは最後の力を振り絞って立ち上がった。
「こっお・・・・おおおおあああああああああ!!」
のばされた爪がロイの額に届く直前、ドンっと一際大きく焔が鳴る。両者は数秒間睨みあった、そして。
「完敗よ」
ボロっとラストの腕が崩れ始めた。
「くやしいけど貴方みたいな男に殺られるのも悪くない」
腕からだんだんと崩れ落ちていきながらもラストの表情はとても穏やかなものだった。
「その迷いの無い真っ直ぐな目、好きよ」
ロイはただその光景を見据えている。
「楽しみねその目が苦悩にゆがむ日は・・・・・・・・・すぐ・・・・・そこ・・・・・」
骨も崩れ落ち、最後に残った賢者の石までもが灰燼と化すと、ロイは糸が切れたかのように崩れ落ちた。
「ロイ!!」
は足の傷口から血が噴出すのも構わず真っ先に壁から飛び出して、ロイの元へ走り寄った。
「ロイっ・・・ロイ!!しっかりしてください!!」
「・・・怪我を・・・・」
ロイは泣きじゃくっているようなに弱く笑んで、その頬に手を触れる。
「っ・・こんなの何でもないです!!自分の心配をっ!!」
その手に強く自分のそれを添えて、は一度きつく目を閉じる。止まっていた涙が関を切ったように溢れ出した。
「アルフォンス、を守ってくれて礼を言う」
「そんな事より早く医者を!!」
アルフォンスの姿が視界に入るとロイはそう言って笑ったが、今はそれどころではない。
「そうだ・・・早くハボックに医者を呼んでやってくれ。たのむ・・・・」
だがロイは、最後まで自分の苦痛を訴える事はなく、そのまま意識を手放した。
to be continued
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あとがきという名の言い訳 vol.33
ガンガン本誌を読んでらっしゃる方には一番最初に突っ込まれそうですが・・・はい、フライング気味で第一回目のシャウト大会です(笑)
原作で傷を塞いだ時のシーンが描かれてないんでどんなかなーとは色々想像してたんですが、さすがにこんな事はやってないと思います(笑)このサイトのロイとハボックのタフさはきっと尋常じゃないですね(普通あんな状態で怒鳴りあいやったら死にますって・苦笑)
とまあ、それはさておき、無事対ラスト編が終了しました!
そして、これを書いてる本日6月25日現在で、とりあえず軍部サイドは既刊コミックに追いつきましたので(微妙に数ページ分残ってはいますが・苦笑)11巻が発売される7月22日(たしかそうだったはず・汗)まで一旦更新がストップします。
その分エルリック兄弟サイドや以前言っていた嬢の過去編、またその他の新連載や短編の更新に力を入れていきますので、もう少々お待ちください。