広がる緑の絨毯の上を、は一人で歩いていた。
その周囲に整然と並ぶ墓標。ここは数え切れないほどの魂が眠る場所であった。
まだ日が完全に昇りきらない早朝のせいか彼女以外に人影は無く、辺りには朝霧がかかって少し肌寒い。
やがて小さな丘のようになっている道を登りきると、そこにはまだ真新しい一つの墓標があった。
「すみません、来るのが随分遅くなってしまいましたね」
”Maes Huahes”と記されたその前で立ち止まったは静かに声を発した。
第33話 幻耀の弔い花
ロスの逃走と射殺命令を聞いたは居ても立ってもいられなくなり司令部を飛び出したが、結局彼女を見つけたときにはすでに手遅れであった。
そして、運悪くその場に居合わせたエドワードとアルフォンスと共に中央司令部の医療棟で、ロスの死亡鑑定に立ち会うことになった。損傷が酷いため随分と長い時間がかかったが、その間エドワードや、やはり立ち会っていたアームストロングとの会話の内容はほとんど覚えていない。
そんな中でも唯一鮮明なのは、死亡鑑定の結果あの焼死体が間違いなくロスの物であること、そして去り際ロイがアームストロングに残した酷く冷たい言葉だけだった。
医療棟を出た時には既に夜が明けており、東の空が白み始めていた。
エドワード達と別れ一旦司令部へ戻ったは、昨日の事をブロッシュに一言詫びて、そのまま彼に聞いたこの場所へ一人やって来たのだった。
がヒューズの死を知ったのは十数時間前の事だ。
ブロッシュから詳しく聞いたにもかかわらず、心のどこかで信じられずにいた。
だが、今こうして彼の墓標の前に立つと、ようやく実感する。
ああ、彼はもうこの世界のどこにも居なくなってしまったのだと。もう二度と話す事も、会う事もかなわない遠くへ行ってしまったのだと。
は漠然とその事を理解したが、涙は流さなかった。
悲しくないわけではない、泣きたくないわけでもない。そうしないのは泣く訳にはいかないから。
自分よりももっと悲しい思いをした人達が居る。
最愛の夫を亡くしたグレイシア、大好きな父を亡くしたエリシア、そして無二の親友を亡くしたロイ。
自分とは比べ物にならないほどの時間を、想いを共有してきた彼らの悲しみは、自分の物などとはきっと比べ物にならない程深く大きい。
そしてもう一つ、ヒューズが殺される事になった直接の原因、それが賢者の石に深く関わりすぎた為だという事。エドワード達と共にずっと賢者の石を調べていた自分はその原因に無関係ではない。
同じなのだ、ヒューズの死は自分の両親と。どちらも賢者の石について知りすぎたために殺された。
”また犠牲者を出してしまった”、きっと心の片隅にあるその罪悪感も、涙をせき止めているのだろう。
は静かに目を閉じた。
初めてヒューズに会ったのは資格を取って軍に入ったばかりの頃だった。
『お、嬢ちゃんが史上最年少の少佐殿か!俺ぁマース・ヒューズってんだ。軍法会議所で働いてる。ま、よろしくな!』
勝手のわからない中央司令部で迷っていた時も何度か助けられた。
『気にすんなって。困った時は助け合うのが人間ってもんだろ?』
そして最後に会ったセントラルを発つ前日、軍法会議所に挨拶に訪れた時の彼の言葉を今でも鮮明に思い出すことが出来た。
『間違える事は悪い事じゃない、むしろ間違うから人間なんだよ。人間ってのは小さい事も大きい事も含めて間違いを繰り返しながら大人になる。そうやって反れちまった道を少しずつ少しずつ軌道修正しながら生きてくもんだ』
『だがな、だからって何も真っ直ぐな道を歩く事だけが全てじゃないんだぜ?他人から見れば蛇行した道でも、そこには回り道した分だけ必ず何かしら意味がある。それが何かに気付くかどうかはわからねーが、とにかく目には見えなくても確実に積み重ねられてくもんがある』
『だからお前はお前の信じる道を思う通りに自分の足で進め。間違えたっていいんだ、道に迷って行き詰まっても、いつだってお前はお前の意志で新しい道を探し出せる。たまに後ろを振り返って立ち止まっても、またそこから進めばいいんだからよ』
はゆっくりと目を開く。
あの時、何故ヒューズがそんなことを言ったのかよくわからなかったが、今思うと彼は自分の中にある迷いに気付いていたのかもしれない。だからあの言葉は、はなむけのつもりだったのかもしれない。今となってはもう訊くことはできないが、なんとなくそんな気がした。
(そして今もまた・・・私は迷ってる)
間違いかもしれないと思いつつも、無理矢理突き進んでいる。
「私は今のまま進むべきですか?」
気付けば声に出していた。無論、その問いに墓標は何も語らない。代わりに備えられた白い花束がかさりと鳴った。
『俺は何も言わない。それを決めるのはお前自身だ』
聞こえるはずも無いその声にそう言われた気がした。
「・・・・そうですね・・・」
は僅かに目を伏せる。
そのまま少しの時が流れ、やがて少しずつ風が吹き始めた。それにつれて眩い朝日が、後方からの体を照らしていく。
「・・・そろそろ行きます。今の私があなたに手向けられる花は無いから・・・」
は両の手を胸に添えた。こうするのはどれくらいぶりだろう、ゆっくりと手を開いて行くと淡く青い光を放ちながら、周囲の朝霧が耀きだした。
ダイヤモンドダストと呼ばれる微細な氷の欠片は、朝日を受け耀き、風に舞う綺羅の花弁だった。この地に留まることなく儚く消えて行く、決して咲き誇る事のない泡沫の弔い花。
「土が貴方にとって軽くありますように・・・・・・おやすみなさい、ヒューズ准将」
夕食を終え、しばらくの間自室に篭っていたエドワードは不意に思い立ったように外に出て隣の部屋の前に立った。
「・・・オレだけど・・・」
軽く二、三度ノックして声をかける。だが返事は無かった。
「・・・?いないのか?」
「あ・・・・はい!」
もう一度ノックをしようかと思うと、中から声がした。そしてパタパタと小さな足音の後、小さく開かれたドアから顔を出したに、エドワードは思わずうろたえる。
「っご・・・ごめん!!オレそんなつもりじゃ・・・!!」
の長い髪は下ろされていて、濡れた毛先からは雫が滴り落ちている。ドアに隠れるようにしているためそこから下は見えないが、胸元を押さえるようにしているタオルから彼女がシャワーを浴びていた途中だとすぐにわかった。
「エド!?あ・・・・・・ごめん、ちょっとだけ待っててもらえるかな?」
そしてエドワードが赤面した原因に今更気付いたも頬を赤らめてもう一歩ドアの後ろへ下がった。どうやらシャワールームから慌てて出てきたらしく、自分が今どんな姿をしているか忘れていたらしい。
「う・・うん」
エドワードが頷くとはもう一度ごめんと小さく呟いて、一度ドアを閉めた。
パタンと音がした後、エドワードは隣の壁に寄りかかる。妙に顔が熱かった。ある意味当然といえば当然かもしれない、今のように無防備で艶めかしいを見たのは初めてだったのだから。
(って・・・不謹慎だぞ・・・!!)
無意識にその姿を思い出そうとしていた自分にエドワードは思わず突っ込みを入れる。今はそんな事を考えている時ではない。真面目な話をしにの部屋を訪れたのだから。
「エド、ごめんお待たせ。入って?」
エドワードが一人悶々としていると再びドアが開かれた。
「・・・ああ」
首からタオルを下げて私服に着替えたにほっとして、エドワードは促されるままに彼女の部屋へ入る。その瞬間、もう気持ちはしっかりと切り替えられた。
エドワードとは部屋のソファーに隣合わせに座っている。
セントラルへ戻ってきてからまだ二日しか経っていないがその間にあまりにも色々な事がありすぎた。だが、お互い別行動を取っていたため、こうやって話す機会がなかったのだ。
「・・・そう、グレイシアさんに会ったんだ」
今日の朝、医療棟で別れた後、エドワード達がヒューズの家を訪れたのだと聞いては小さく頷いた。
「ああ。俺達兄弟の事とか賢者の石の事も全部話して・・・・・謝りに」
エドワードもも、お互いの表情は見ずに淡々と話を続ける。
「・・・何か言われた?」
聞くのがなんとなく躊躇われ、は小さな声でそう訊いた。
「”自分達の納得する方法で前へ進みなさい”って・・・」
グレイシアに全てを話し謝った後も彼女は声一つ荒げることなく、一度もエドワード達を睨む事すらせず優しくそう言ったのだという。同行していなかったにその時の様子はわからない。だが、
「・・・厳しい言葉ね・・・・とても・・・・」
それだけは痛いほどに理解できた。きっと様々な想いが込められたそれはエドワード達にとって、優しいけれど何よりも厳しく辛い一言だ。
「・・ああ・・・いっそ、罵ってくれたほうが良かったとも思った・・・」
グレイシアがそうしていたなら、きっともう元の体に戻るのは諦めていただろう。ヒューズが死んだ事をこれ以上犠牲者を出す事を彼女が咎め、止めていたならそうしていた。
だが実際には、自分の納得する方法で進めと言われたエドワードは、自分がどうすべきなのか自分で決めなくてはならない。グレイシアが罵らなかった分の罪悪感も、全てその身に背負わなければならない。
「、オレは今迷ってる。このまま元の体に戻るために進んでいいのか・・・・わからなくなってる」
エドワードは顔を上げて隣のに目を向けた。すると彼女も同じようにして二人は真っ直ぐに目を合わせた。
「また私も迷ってるよ、エド。正しいと思って進んできた道がこれでいいのかなって最近ずっと思ってる・・・」
少しの間交錯させた視線を、はふっと膝の上に落とした。
「エド達が・・・グレイシアさんに会ってる間、私ヒューズ准将のお墓に行ってきたの」
「そうだったんだ」
エドワードはに視線を向けたまま、少し意外そうに言った。
「うん。その時にね、前にセントラルを出発する時にあの人に言われた事を思い出したわ」
彼の言ったその言葉を、そっくりそのままエドワードに伝えた。また視線の交錯した二人の間に僅かな沈黙が流れ、そして二人の言葉が同時に重なる。
「難しいわね」
「難しいな」
どの道を選ぶかと言うごく単純な事が、これほどにまで難しいとは思わなかった。
思うままに進みたくても、エドワードもも、自分がどうしたいのかわからず今はそれも出来ない。
結局答えは出ないまま、そこで会話が途切れた。
時計の針が静かに、無意味に過ぎていく時間を告げる。どれくらい時間が経った頃だろう、エドワードが口を開いた。
「なぁ、。一つ聞いていいか?」
「うん」
が顔を上げたのを見届けて、エドワードは真っ直ぐに彼女を見据えた。
「お前が中佐になってたってのはセントラルに来て初めて聞いたけど・・・・それと今離軍してるのはもしかして何か関係あるのか?」
僅かに、の瞳が揺れたのをエドワードは見逃さなかった。だが、それについては何も触れず、ただ彼女が自分から声を発するの待つ。
「・・・そうとも言えるかもしれないし、言えないかもしれないわ」
「・・・・そうか」
視線をわざとはずしたにエドワードは何も言わず頷いた。”言えない”、揺れた瞳が何よりもそう言ったのがわかったから。
「悪かったな遅くに」
だがそのまま静かに立ち上がって出て行こうとしたエドワードを、弱い力でが引き止めた。
「?」
「あ・・・ごめん・・・・」
は手を離してエドワードを見上げ、彼に見えない位置で小さく手を握った。
「エド、もし・・・・・もしもよ?・・・もし・・・・私が君に・・・・・何か嘘をついていたとしたら・・・・君は私のことを軽蔑する?」
もしもと繰り返す事が何を意味しているのか、おそらく自身も理解しているのだろう。無論エドワードもそれに気付いている。
「しないよ」
だからこそ短くそう言い切った。一瞬は目を見開きそして俯いた。
「・・・おやすみ」
”ありがとう”となんとか聞き取れるくらいの小さな声がして、エドワードはそのままに背を向け部屋を出た。
閉じたドアを背にしてエドワードは自分の眼前に手をかざす。確かにたった今、を抱きしめようとした両手を。
何故だ?と数度自分に問い掛ける。
弱々しいを見て、抱きしめたいと思った。
それはアルフォンスに言ったように彼女を守りたいと思ったからだろうか?
それとも。
「オレは・・・・」
to be continued
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あとがきという名の言い訳 vol.33
色々と思い入れの強い回でした。
ヒューズの言葉は特に何度も書き直して、ようやくなんとか形になった感じですが、自分が思ってることを文にするとやはりニュアンスも変わってくるもんですね。
ーとまあそれはさておき。嬢の回想シーンでのヒューズとのやり取りは過去編のほうで詳しく書いていきますので、気になる方はそちらを読んでやってください。ついでに本文中の「シット・シビ・テッラ・レウィス」は墓標に刻まれるラテン語です。意味としてはほぼ嬢の言葉通りです。
さてさて、エドの気持ちもまた微妙に動き出しましたが、行動に出るまでにはまだかかりそうです(笑)