扉横の鏡に映る自分の表情はいっそ愉快なぐらいに緊張でゆがんでいた。
しかし、そんなことを気にする余裕もなくは手早く髪を整え、軍服のの襟元を正した。よく見ると、この鏡はずいぶんと手の込んだ装飾のなされた高級品だということに気づく。
否、それどころか、床に敷かれた赤い絨毯や、さりげない装飾品、果ては照明器具までもが全てそうであった。
(・・・本当にここ軍の施設なのかしら)
極めつけとも言える観音開きの重厚な扉の前に立って、は思ってしまった。確かにこの場所は、セントラル司令部の数ある建物の中でも、異質な存在だ。どこぞの貴族の屋敷か城を彷彿とさせる内装が、扉の向こうの人物の権力を否応なしに象徴している。
は自身を呼び出した人物に、過去数回あったことがあるが、この場所に直接訪れるのは初めての経験だ。将軍クラスの軍人でさえ、滅多な事では入れないこの部屋に、たかだか少佐の自分が呼び出されたのだ、緊張するなというほうが無理だが、それでもただ呼び出されただけならまだいい。
問題なのは呼び出される理由に自身、思い当たるフシがあることだった。それは言うまでもなく先日の元第五研究所への不法侵入。その人物の情報網からしてバレていないほうがおかしい。だとすれば、この先に待っている事態に大体の想像がつく。
そう考えると思わず逃げ出したくもなるが、そうも言っていられない。いい加減あきらめもついたのか、は一度大きく息を吸って扉をノックした。
「・少佐であります」
「開いている、入りなさい」
が名乗りを上げるとほどなくして、低い返答が返ってきた。
「失礼いたします」
静かに扉を開けると、はその部屋、大総統の執務室へと足を踏み入れた。
第21話 黒の導き手
時を遡る事、二十分前。
エドワード達を駅にて見送ったあと、セントラル司令部に戻ってきたとロスとブロッシュは、正面玄関に通じる敷石の道を歩いていた。両サイドに並んだ大総統紋章旗が強くなってきた風にはためいている。
「なんだかすっかり静かになってしまいましたね」
「はい、少し寂しいくらいですね」
ロスの言葉には顔を向けて思わず笑いあった。
「少佐はこれからどうされるんですか?」
ブロッシュが聞いて来る。
「一応この後、連絡をとってみますが、特に何もなければ明日朝一の汽車で東方司令部に戻るつもりです」
元々、はセントラルに着いた後、すぐに東方司令部に戻る気でいたのだが、成り行きでエドワード達が滞在中護衛をすることになったのだ。彼らが出発した以上セントラルにとどまる理由はない。
「え?そんな急にですか?」
「・・・ブロッシュ軍曹」
何故だか物凄くがっかりするブロッシュに、ロスは思い切り咳払いをした。
「?」
そのやり取りの意味がわからずは一人首をかしげた。
ーとその時。
「失礼ですが、・少佐ですね?」
いつの間に現れたのか、一人の女性士官が走り寄って来た。
「はい、そうですが私に何か?」
「は!少佐に、ご伝言をお預かりしてまいりました」
階級章からから大尉だと思われる女性士官は一度ぴしりと敬礼する。
「ありがとうございます。それで、伝言というのは?」
「キング・ブラッドレイ大総統閣下がお呼びです」
「・・・・は?」
規律正しい大尉の態度に、笑顔で対応していたの表情が凍りついた。
「だ・・・・大総統閣下が・・・・?」
必死で動揺を隠したが、の声はさぞ上ずっていたに違いない。その様子に大尉が怪訝そうな顔をする。
「はい。至急大総統府の執務室に来るようにとのことです」
「・・・・・・・・」
大尉の言葉が聞き間違えでないことが分かって、は嫌な汗がだらだらと流れるのを感じていた。
「あの・・・・?」
いつまでも反応を返してこないに、大尉はますます眉を寄せる。
「あ・・・いえ・・・わかりました、すぐに行きます」
「は、確かにお伝えしました。それでは、私は失礼いたします」
「ご・・ご苦労様です」
頭を下げて去っていく大尉に、はそう返した。
「大丈夫ですか・・・少佐?」
いつまでも呆然と立ち尽くしているの顔を、ロスが心配そうに覗き込んだ。
「ありがとうございます・・・大丈夫は・・大丈夫なんですが・・・」
は大きくため息をついた。
「・・・バレていても不思議ではないとは思っていましたが、まさか大総統から直接お呼びがかかるとは・・・・」
「やはり、元第五研究所の一件でしょうか・・・?」
「多分・・・というか、それしかないとは思うんですがね・・・」
の心境を察してか、ブロッシュは控えめに聞いてきた。答えるの表情はすでにあきらめともつかない。
「・・・というわけなので、とりあえず私は大総統府まで行ってきますので、お二人はどうぞ先に司令部に戻っていてください」
「少佐、どうかお気をしっかり!!」
「きっと大丈夫ですよ!!」
「ええ、辺境左遷あたりで済む事を祈るばかりです」
ロスとブロッシュの激励の言葉に、心配させまいと言ったが、のジョークセンスはこの状況ではシュールすぎて本人ですら笑えなかった。
ーそして、は大総統の執務室を訪れ、現在に至る。
は入った瞬間、まず部屋の広さに驚かされた。普段ロイが使っている東方司令部の司令官室も結構な広さだが、とてもではないが、その比ではない。加えてホールのように高い天井にきらめくシャンデリアに、廊下よりもさらに豪華な内装と装飾品。
そんな部屋の一番奥、革張りの上等な執務椅子を窓側に向けて一人の男が座っていた。
「大総統閣下のお呼びと伺い出頭いたしました」
が指の先端までしっかりと伸ばした丁寧な敬礼をすると同時に言うと、男、ブラッドレイは、椅子をゆっくりと回転させてこちらを向いた。その堂々とした動作や貫禄は、あたかも一国の王のようだ。
「うむ、ご苦労。楽にしてよいぞ」
「はっ!ありがとうございます!」
敬礼をおろしてから直立不動を保っていたは、一度頭を上げてから肩幅に足を開き後ろで手を組む。いわゆる休めの姿勢だが、それでも背筋はピンと伸ばされたままだ。
緊張しきったの様子に、ブラッドレイは思わず苦笑する。
「楽にして良いと言うに・・・・まあ、いいだろう、さて・・・」
ブラッドレイの表情から笑みが消え、彼はまっすぐにの瞳を見据えた。彼から滲み出す威圧感がびりびりと伝わってくるようだ。
「・少佐、君は今東方司令部に勤務していたな?」
「はい」
「話に聞くところ、君の司令官補佐としての能力の高さはかなりのものだとと言うが・・・・」
ブラッドレイは厳しく目を細めた。この話の展開から、彼が何をいいたいのか想像がついた。額をつうっと冷たい汗が伝う。
「残念だが今日付けで異動してもらうことになったぞ」
「・・・はい」
やはり左遷かとは思った。いったいどこの辺境司令部に飛ばされるというのだろう。いや、それならまだいい。下手をすると、南部戦線あたりの前線に配置されかねない。
「それで、新たな異動先なのだがな・・・・」
は無意識に息を呑み込んだ。ブラッドレイが次の言葉を口にするまでの時間が永遠のように長く感じられる。
「ここだ」
「・・・・・・・・は?」
しかし、ブラッドレイの口から出たのは思いもよらない一言であった。
「はっはっはっはっ!!どうしたんだね、左遷でもされるかと思ったのかね?」
のぽかんとした表情に、ブラッドレイが声を立てて大笑いした。
「あ・・・あの、お言葉ですが大総統閣下・・・おっしゃている意味が良く分からないのですが・・・・」
拍子抜けしたかのように少しよろめいたはなんとか意識をつなぎとめて、そう聞いた。
「つまりは君は今日から大総統府勤務になったと言う事だ。ああ、東方司令部には既に連絡済だから問題ないぞ」
「大総統府勤務・・・・私がですか!?」
はすでに緊張など忘れ去って耳を疑った。
「うむ」
「し・・・しかし、何故私のような者を・・・?」
大総統府勤務ということは、早い話、大総統直属の部下ということになる。言い換えればエリート中のエリート軍人だ。何かしら処分されることを覚悟で来たというのになぜそんなことになっているのだろうか。
「知ってのとおり大総統府は軍事の中枢機関であるこのセントラル司令部の要たる場所だ。優秀な人材が必要なのだよ。少佐・・・・いや、中佐」
「中・・・佐・・・?」
「大総統府直轄の軍人がいつまでも少佐のわけがなかろう。異動と同時に一階級特進したぞ」
ブラッドレイは信じられないと言わんばかりのに、穏やかな笑みを浮かべて言った。
(・・・もしかして大総統は第五研究所の事を知っててわざとやってるのかも・・・)
この男ならありえなくもないとは思った。しかし、そうだとしたら一体何のためだというのだろう。
「どうしたんだね、中佐?」
「あ・・・いえ、失礼いたしました!!」
本人が目の前にいたことを思わず忘れかけて慌てては顔をあげた。
「では今日から君は私の部下だ、よろしく頼むぞ」
「は!」
は踵を鳴らして敬礼をする。
「うむ、それで良い。ところで、わざわざここまで呼び出したのは異動命令を伝えるためだけではないのだよ、本題に入るがいいかね?」
「はい」
が頷くとブラッドレイはおもむろに椅子から立ち上がった。
「では中佐・・・」
ブラッドレイはゆっくりと言葉をつむいでいく。
「君にエルリック兄弟の追跡調査を命ずる」
「・・・エルリック兄弟の追跡調査・・・・・?」
ブラッドレイの口をついて出たのは、またもの意表をついた言葉だった。
「何、追跡調査などと銘打っておるが、そんなに大袈裟なものではない」
ブラッドレイは再びぽかんとするにカラカラと笑い出す。
「先日彼の病室でも言ったが、賢者の石にかかわることは危険なのだよ。だが、彼はそれを承知でまた無茶をしかねん。軍としてはあの人材を失うのは惜しくてな・・・」
「・・・つまり、私に彼らが無茶をしない様に見守れ・・・という事でしょうか?」
「その通りだ。常に彼らと共に行動することになるゆえ、彼らと親しい君が適任なのだよ」
「それでは、一時離軍することになるのでしょうか?」
「そうなるな、やってくれるかね?」
日々いろいろな場所を旅して周るエドワード達を追いかけて、共に行動するならば、当然長期間軍から離れる事になる。普通だったらありえないことだが、これは大総統勅命だ。に選択の余地はない。
「・・・お受けいたします」
は深く頭を下げた。しかし、いくつも残る疑問点にわずかに眉を寄せる。
「そうか。では明日にでも出発してくれたまえ。分かっていると思うが任務については一切の口外を禁ずる」
「承知しております」
「うむ、では下がってよろしい」
「は、失礼いたします」
は再度敬礼して執務室を後にした。
(一体、大総統は何を考えているの?)
大総統府を出たの脳裏にはその考えだけが浮かんでいた。異動命令にしてもエドワード達の件についても唐突すぎる。
(・・・異動に関してはエドワード君たちの追跡をさせるためだと思うけど・・)
そもそも、何故そんなことが必要なのか分からない。確かに国家錬金術師としての彼は軍にとって有益な人材だ。しかし、いくらそうだとしても一個人に対してそこまで大総統が入れ込んでいるというのがどうにも腑に落ちない。
(・・・賢者の石と軍の上層部・・・やっぱり何か関係があるのかもしれないわね)
「・・・でも」
はぽつりとつぶやいた。
(これは思いもよらないチャンスかもしれない・・・)
命令とはいえ、エドワード達と行動を共にすることが可能になったのだ。
(アレができた人はエドワード君と・・・あとはあの人だけ・・・そして彼らはダブりスにいる・・・)
元第五研究所から戻って以来、ずっと彼らに確かめたいと思っていたことがある。おそらくそれが分かれば、両親の死の真相にまた少し近づくことができる。そしてそれは目的に対しての前進を意味していた。
「ラース」
が歩き去っていく姿を、執務室の窓から眺めていたブラッドレイの背後から、ふいにそんな声がかかった。
「・・・・今は、”キング・ブラッドレイ”だ、ラスト」
「あら、それは失礼」
ゆっくりとふりむいたブラッドレイの前には、いつのまにかラストの姿があった。
「ふむ・・・では私も戻るとするか」
ブラッドレイは僅かな間をおいて眼帯をはずした。開かれた最強の目をもつ彼は、すでに軍事最高責任者のキング・ブラッドレイ大総統ではなく、闇の歴史を刻むウロボロスの一人、ラースだった。
「いつからそこにいた?」
「最初からいたわ」
ラースへと戻った彼に笑んで、ラストは執務室の続き部屋を指差す。
「そうか。では話は聞いていたわけだな」
「ええ、一通りはね。でもちょっとやり方が強引なんじゃない?」
ラストが眉を寄せるようにして言うと、ラースはふっと笑って見せた。
「確かにな。しかしああしておけば、あの娘の関心は、賢者の石と軍の関係に向くことになるだろう?」
「ま、そうね。本来の目的をから目を反らさせておくには良い餌だわ」
ラストは紫の双眸を細めて妖艶に微笑んだ。
「あのお方はなんと?」
ラースの”あのお方”という言葉にラストがぴくりと反応を示す。
「第五研究所であの娘が扉を開いたときの記憶を取り戻したように、新たな外的刺激を与えることでまた何か変化があるかもしれないとのことよ。だから、その刺激を与えてやるには鋼の坊や達と一緒に泳がせるのが手っ取り早いんだけど」
ラストは両手を肩の高さに挙げて小さく息を吐いた。
「・・・極めて人工物に近い体でありながら、人間の魂を持ち、なおかつ扉を開いている。あの娘は私達と人間の中間的存在だそうよ。今のところ秘めた可能性は無限のようね。お父様は人柱以外にも利用価値を考えられているの」
ラストはすっとラースの頬に手を伸ばし優しく触れた。
「つまり、あなたのように私達の切り札に成り得るってことね」
「・・・ふむ」
ラースは眉一つ動かさず、ラストの手を静かに離した。
「こちら側に引き込むか?」
「さあ、それはこれからの経過しだいね。計画の邪魔になることも考えられるし」
ラストはクスリと笑って腕を組んだ。
「とりあえずはしばらく様子見ね。お父様が判断を下されるまでは、あの娘は人柱よりも重要な存在よ。わかってるわね、ラース?」
「無論だ」
「そう、それを聞いて安心したわ」
「戻るのか?」
「ええ。それではごきげんよう大総統閣下」
ラストはくるりと踵を返すと、再び続き間の方へ消えていった。
「東方・・・・・ではなくて、セントラル司令部大総統府所属の・中佐です。マスタング大佐に取次ぎを」
はセントラル司令部から少しはなれた電話ボックスから、東方司令部に電話をかけていた。案の定、つい先ほど変わったばかりの所属を部署を言い間違える。
『外線からの通信ですのでコードをお願いします』
「ウルズ 、ヴェルザンディ 、スクルド、ナイン、ゼロ、エイト」
『コード確認いたしました。少々お待ちください』
(中佐・・・か)
受話器を持ちながら小さく息をついた。前回こうやってロイに電話をかけたときは、はまだ東方司令部勤務の少佐であった。世の道理として出世は喜ぶべきものなのだろうが、実のところあまり嬉しくない。軍に入ってから半年とはいえ、はそれなりに、東方司令部が気に入っていたのだった。
(チャンスはいいけど・・・やっぱりちょっと寂しいかも・・・)
そんなことを思っているうちに、どうやら回線がつながったようだった。
「お忙しいところすみません、大佐」
『いや、ここ数日は結構落ち着いていたから問題ない。さっき大総統から直接連絡がきたよ、中佐になったそうだな、昇進おめでとう」
「あ・・・ありがとうございます」
『どうした?あまり嬉しくなさそうだな、異動場所も大総統府だそうじゃないか。異例の出世だぞ、もう少し喜んだらどうだ?』
苦笑しているロイの様子に、はまた小さくため息をつく。
「そう・・・ですね。あの・・・それでエルリック兄弟のことなのですが」
『ああ、もう出発したのか?』
「はい、今日の夕方にセントラルを発ちました」
『そうか。では私の部下としての任務はこれで終わりだな、セントラルでも頑張りたまえ、君なら大丈夫なはずだ』
「・・・ありがとうございます」
なんだか、改めて言われると妙にしんみりしてしまう気がする。
『こちらには一度戻ってくるのか?』
「いえ・・・そうしたいのですが、しばらくの間は無理のようですので・・・こちらのことが一段落着きましたら、行きたいと思います」
『・・・・そうか、では出世祝いに例の貸しは帳消しだな』
「え?」
『残念だが仕方ない、いずれまたセントラルで会おう、中佐』
少し意外なロイの発言には目を丸くした。しかし、すぐに笑顔になる。
(まったく・・・この人は・・・)
「お待ちしています大佐」
『何、すぐに追いつくさ。ではヒューズに会ったらよろしく頼む』
「はい、司令部の皆さんにもよろしくお伝えください」
『ああ、それではまたな』
「はい、失礼いたします」
は受話器を置くと、電話ボックスから外に出た。見上げた空はそろそろ橙色から闇色のそれに変わろうとしていた。しかし、どこか気分が晴れ晴れとしている。
「今は前へ進もう」
それが他人の手で敷かれた道であっても。
自分に再確認するようにつぶやいて、は一歩踏み出した。
Part U conclusion
back next
あとがきという名の言い訳 vol.21
今回のポイントは超自己完結的な会話を繰り広げているラストとラース。
やたらと思わせぶりなこと言っといて、肝心な説明をしてないのがミソです(笑)これで、連載終了までにこの辺を消化できなかった日には大笑いですね(笑えないって)
ぶっちゃけ、軍部サイドはいいとして、こっちのエルリック兄弟サイドで、どうやって嬢をエドワードと共にこの先行動させるかかなり悩んでました。軍人じゃなくてただの国家錬金術師だったら悩まずすんだんですがね・・・で、結果がこれ(笑)
ラースがラストにも突っ込まれてますが、の異動とエルリック兄弟の追跡〜までの流れはかなり強引です(認めちゃったよ)鋼原作中の大総統がわりとわけわかんない行動をいろいろと起こしてくれる人物で助かったかなーという感じです(苦笑)
あ、嬢のコードはまたも北欧神話から(笑)三つとも運命の女神ノルンの名前です。
そんな無茶な展開ですが、次の話からこちらのサイドは第三部、ダブリス編に突入します。巻数的にはまだようやく五巻・・・2005年5月現在、既刊されている単行本のやっと折り返し地点ですね。
まだまだ先は長いですが、お付き合いいただければ幸いです。