白い湯気を上げるカップの中の液体が、歩くたびに小さくゆらゆらと波打つ。
いつもよりもやや小股気味に歩きながら、階段を上り、エドワードはひとつのドアの前で立ち止まった。普段、入院患者の病室として使われているこの部屋は、今は一時的にが使っている。
エドワードはノックをしようと、片手に二つのカップを持ち替える。だが、手を触れようとした途端、ドアは小さく内側に開いた。どうやら元々しっかり閉じられていなかったらしい。
「・・・・?」
出鼻をくじかれたようでいささか面食らったが、エドワードはそのまま静かにドアを押して部屋の中を覗き込む。明かりがつけられていないため、部屋の中は薄暗い。一瞬いないのかと思ったが、部屋の奥、窓のほうに目をやれば、そこにぼんやりと人影が見える。
この部屋の仮初の主、はもたれるようにして窓の縁に座っていた。
どこか虚ろな瞳で、夜闇に沈んだ外の世界を眺めるその姿にエドワードは既視感を覚える。それはダブリスでの、あの夜に感じた感覚によく似ていた。
だが、今のはあの時よりもいっそう脆く儚げで、その存在が希薄にすら感じられる。このまま彼女が消えてしまうのではないかという根拠のない不安はさらに募り、エドワードはわざと足音を立てて部屋の中に踏み込んだ。
第38話 その想いの名前
物音に気づいてが振り向くと、エドワードは彼女の傍らに歩み寄り、持ってきたカップの一つを差し出した。
「ホットミルク。鎮静効果があるって、ばっちゃんに聞いたんだけど・・・」
「エドは・・・?」
「オレはこっち!」
確かエドワードはかなりの牛乳嫌いのはずだ。がきょとんとして見上げると、エドワードは苦笑しながらコーヒーの入ったもう一つのカップを掲げて見せた。
「ありがとう」
がそう言ってカップを受け取ると、エドワードは彼女の横に腰を下ろす。しばしの静寂、カップから温かいミルクを一口飲んだの喉がコクリと小さく鳴った。
「・・・何かあったのか?」
エドワードは自分もコーヒーをすすりながら、なるべく静かに切り出した。
エドワードが戻ってきた時、突然泣き出した。わずか数時間の間に一体何があったというのだろう。
「言いたくなかったら言わなくてもいいけど・・・」
言いながらエドワードは隣に座るに目をやる。あの時はどこか取り乱したような彼女も、今はもう落ち着いたようだ。
「・・・女の子がね、いたの」
「女の子?」
もう一口、ホットミルクを飲んで、はポツリと呟いた。予想外の言葉に、エドワードの眉が小さく跳ねる。
「そう。金髪に碧の目をした女の子」
は両手で持ったカップ膝の上に戻すと、エドワードの方を向いた。
「彼女ね、硝子の中で泣いてたわ。雨が止むまでの間・・・ずっと」
まるでおとぎ話でも語るかのように、は言葉を続ける。そこでエドワードは理解した。彼女の言う”女の子”が何を指しているのかを。
「彼女が泣く理由がわからないの。何が悲しくて涙を流してるのか・・・・よくわからない」
はカップの中のミルクに視線を落とした。柔らかな白い水面は小さく揺れながら、揺らいだ彼女の姿をほんのわずかに映し出す。
「彼女は道を決めたはずなのに。自分でその道を選んだはずなのに泣くから、私言ったの”そんな顔しないで”って」
「・・・そしたら・・・?」
エドワードの声に、はカップから顔を上げると、また彼の方を向いた。
「それでも、彼女泣きやんでくれなくて・・・なんだか見てられなくて・・・気付いたら、いなくなってしまったけど、それが何故だかすごく悲しくてね・・・」
は肩越しに窓の外に目をやった。硝子の中の、自分と全く同じ姿をした彼女と目が合う。それが、あの時泣いていた”彼女”なのかはわからない。
「それで私は泣いてしまっみたい。・・・馬鹿みたいね、子供じゃあるまいし」
は”何をやっているんだろうね”と自嘲して笑った。
「ごめん。また私エドにに迷惑かけたわ」
「迷惑だなんて思ってない」
「え・・・?」
まったく間をおかずそう返されて、は目を丸くした。一方、エドワードは、少々照れくさそうに目をそらす。
「その・・・・少しでも頼られた方が、オレは嬉しい・・・から」
言いながらエドワードは自分の顔が熱くなっていくのに気付いた。今更ながら、この部屋の電気がつけられていなかったことに感謝する。そうでもなければ今、赤くなっている自分に気付かれてしまっただろう。
「・・・むしろ、”何をやってるんだ”はオレの方だよ」
エドワードは不思議そうな顔をしているに、肩をすくめて見せる。
「オレさ、あの野郎に”逃げたな”って言われたとき、正直反論できなかった」
ホーエンハイムの名を出すのも嫌なのか、エドワードは”あの野郎”といういささか乱暴な代名詞を使う。
「逃げたつもりはなかった。けど、実際周りから見れば逃げたも同然なんだよな。そのせいで、本当のことに気付くのがこんなにも遅くなっちまった。答えはスタート地点にあったっていうのに」
結局のところ、”あれ”にまた触れるのが怖かったのも事実だ。ホーエンハイムは図星を突いた。なんとも情けないことだなと、エドワードは苦笑する。だが、
「逃げてない」
今度はの言葉に彼が目を丸くした。
「逃げてないよ、エドは。だって、ちゃんと向き合って戦ったじゃない。エドは過去の自分に、勝ったわ」
「・・」
「逃げてるのは・・・・・ううん、何でもない」
”逃げてるのは私”、はその言葉を飲み込んで首を振った。ここでそれを言えば、またエドワードの優しい言葉に縋ってしまいそうだから。
「人体錬成は不可能・・・か。イズミさんは何て?」
今日の昼間、人体錬成で出来上がったあの人物を掘り起こし、そしてエドワードが得た確証。カップの中身が半分程になるころ、二人の会話の焦点は自然とそちらに流れていた。
「それが、電話切られちゃってさ」
エドワードはイズミにこう訊いた。”人体錬成でできあがったのは本当にあなたの子供でしたか?”と。ストレートな質問はイズミを怒らせたのかもしれない。だが、電話越しにも彼女の動揺が伝わってきた。それが何故かは想像に難くない。
「そう。でも、それならアルは元に・・・」
「ああ、あいつは元に戻れる」
エドワードは力強く頷いてみせる。
「人体錬成で死者を蘇らせる事はできない。けど、アルは死んだわけじゃない、持っていかれたんだ」
エドワードが言うには、アルフォンスは十歳より以前の、つまり人体錬成をして鎧の体になる以前の、エドワードの知りえない記憶を持っている。それはエドワードの錬成したアルフォンスが本物のアルフォンスだという何よりの証拠だ。
「死者である母さんは、そもそも既に存在しない。だから錬成する事はできなかった。けど、アルの魂が引っ張り出せたってことは、あいつが生者として存在してることになるんだと思う。こう思うのはもう一つ理由があるんだけどさ」
「今の体になってからのアルの記憶ね?」
エドワードは黙って頷く。同じ国家錬金術師だけあって、の頭の回転の速さと洞察力は半端なものではない。エドワードの理論は他から見ればかなり飛躍したものに思えるが、彼女はその話の断片から、彼の言いたい事を読み取ったのだ。
「鎧の体・・・つまり今のアルは脳を持っていない。ならあいつの経験や記憶はどこに蓄積されてるんだ?って事になる。そう考えたとき、やっぱりそれはアルの脳なんじゃないかって思った」
「つまり、アルの肉体は今も生命活動を続けていて、脳も働いている。そして、おそらく真理の扉の中に彼の肉体がある」
エドワードはすっかり冷めたコーヒーに視線を落とした。沈黙は肯定だが、
「でも・・・そうするとアルの肉体と魂はどうやって?」
にはその疑問だけが残った。アルフォンスの肉体と魂が何らかの形でリンクしていると言うのは解かる。だが、これだけでは離れた場所にあるその二つがどうやって繋がっているのか説明がつかないのだ。
「精神・・・じゃないかと思ってる」
「精神?」
「ああ。錬金術において人間は”肉体・魂・精神”の三つから成るとされてるだろ?」
それは、錬金術師と名乗るものならば誰しも必ず知っている知識だ。無論が知らないはずがない。
「オレは肉体と魂を繋ぐのが精神だと考えてる」
「なるほど・・・」
錬金術における人間の構成自体は有名だが、それぞれがどんな役割を担っているかと言う考えは、錬金術師によって全く異なる。それはも例外ではなく、彼女も彼女なりの自論を持っているが、素直に頷くことができた。
「この理論が正しいかはまだわからない。確かに確証はあるけど、まだまだ確かめなきゃならないことが多いからな・・・・・けど・・・」
「けど?」
「・・・仮に、この理論が正しいとすれば、もう一つ説明がつくことがある」
エドワードは顔を上げて、のほうを向いた。心なしか、その表情から躊躇いが見て取れる。
「、おまえ自身のことだ」
「私・・・?」
思いもしない言葉には目を見開いた。その様子に、エドワードはやや遠慮がちに話し出した。
「オレも師匠も、人体錬成をして真理を見た。けど、は違うだろ?人体錬成をしてないが何で真理を見れたのか、オレもずっと不思議に思ってた。だけど、人体錬成を・・・いや、死者を蘇らせることができないってわかったとき、一つだけ説明できる仮定が浮かんだ」
エドワードは、じっとの目を見据えた。
「ここから先を聞くかどうかは任せる」
それはの意思を確認するためだ。この先の話は、場合によっては彼女を傷つけるかもしれない。
だが、は迷わずに頷いた”聞かせて”と。
「、お前が昔、自分の体を再構築された時、意識がなかったって言ってたよな?」
「確かに、父さんの日記にはそう書いてあったはずよ」
読み返すことはできないが、あの日記の内容は決して忘れるようなものではない。
「・・・再構築されたとき、は仮死状態だったんじゃないか?」
「仮死・・・状態?」
が大きく息を呑むのがわかった。エドワードはなるべく静かに、言葉を続ける。
「仮死・・・つまり、一時的に魂が肉体を離れた。もしもだ、その時に錬成を行ったら、それは人体錬成に限りなく近い状態だったんじゃないか?けど、あくまで仮死でしか無い以上、繋がったままの精神が、再構築された肉体に魂を呼び戻した・・・・」
話の途中で、が口元を押さえたのを見て、エドワードは一度言葉を切った。
「あくまで・・・オレの推測でしか無いんだけど」
そしてを気遣ってか、そういって言葉を締めくくる。
「・・・そうか、だから・・・・」
「?」
エドワードはポツリとつぶやいたの顔を覗き込んだ。
「あ、ううん。ちょっとデビルズネストでグリードが言ってた事を思い出しただけ」
「それって・・・」
「”私からは人造人間(に近いにおいがする。人造人間(の肉体に人間の魂を入れたらそんな風になるんじゃないか”って・・・」
は口元から手をはずすと顔を上げた。
「全身を再構築された私のこの体は、理論的にはおそらく人工的に造られた人造人間(に限りなく近い。たぶん・・・エドの言うとおりなんだわ」
はそっとカップを自分の脇に置いて、右手を眼前にかざした。
薄っすらと夜空を覆っていた雲が、ゆっくりと風に流され、月光が窓から差し込む。青白い光がを包むその光景に、エドワードはまた既視感を覚える。窓際に座り、月明かりに照らされる彼女。似ているのではない、ダブリスの時と同じなのだ。
「エ・・・ド・・・?」
気づけばエドワードは、を抱きしめていた。あたたかい温もりに包まれて、は瞬きを繰り返す。
「でも・・・はだろ?」
「・・・え?」
はまた一つ、瞬いた。
「オレは機械鎧(だし、アルは鎧の体だ。けどオレもアルも、心を持ってる人間だ」
エドワードはもう少し強く、の体を抱きしめた。
「そして、もちろんも心を持ってる。だから同じだよ。お前は・って人間なんだ」
泣き笑いのような表情で、自分の手をみつめるが、その後に何を言おうとしたのか、エドワードは見抜いていた。だからこそ、その言葉よりも先に、彼女の言葉を否定した。がまた、彼女自身を否定する言葉を口にする前に。
「・・・な?」
エドワードはそっと身を離すと、に笑いかけた。すると彼女は、また一つ大きく瞬いて、ありがとうと微笑んだ。
そこでエドワードは唐突に理解する。
何故、が微笑むと嬉しいのか。何故、を守りたいと思うのか。何故、を抱きしめたいと思うのか。
彼女に対するこの想いは一体何なのか。
それはたった今、自分自身が言った言葉が答えだったのだ。だから。彼女だから微笑むと嬉しい、守りたい、抱きしめたい。
その想いの名前が、今ようやくわかった。
「」
エドワードは真っ直ぐの目を見つめ、そして口にした。今なら言うことのできる、その想いの名前を。
「好きだ」
to be continued
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あとがきという名の言い訳 vol.38
37話アップからかなり時間がたってしまいましたが、第38話その想いの名前でした。
よーやく、よーやく!!この回が書けました!!かなり引っ張ってきたので、書いてる側としても結構もどかしかったのですよ(苦笑)というわけで、ようやくエドが嬢に想いを告げました。あーすっきり(笑)
私的にエドは「愛してる」よりは「好きだ」なんです。ここら辺は完全に神崎の趣味なんでアレなんですが。まあ、ロイとの違いを出すため〜ってのもあるんですが、どうも「愛してる」と言えるほどにまでは、まだエドは大人ではないかなと言う感じがあるんです。最終的には同義語かもしれませんが、そこらへんはちょっとしたこだわりと言うことで。
ちなみに、11巻でのエドの人体錬成についての説明(?)
実は私、完全には理解してません(汗)なんとなく言いたいことが解かるかな〜という程度で、文章にする側として情けないことこの上ないんですが・・・・・変な解釈になってたらどうしよう;;;;;;